“異次元”とも形容される日銀の金融緩和の環境下、インバウンド(訪日外国人)の増加を取り込もうと、全国各地でホテル開発が進む。とりわけ観光客が多く集まる東京都心部では用地取引が活発に行われている。その象徴的な存在が猛烈な勢いでホテル新設を進める「アパホテル」だ。同ホテルを展開するアパグループの元谷外志雄代表に話を聞いた。

2010年以降、頂上戦略(SUMMIT 5)と銘打ち、都心でホテルに集中的に建設しています。頂上戦略とはどういうものですか。

元谷外志雄代表(以下、元谷):SUMMIT 5とは、リーマン・ショック後の2010年4月から始めた経営計画のことです。北は池袋、南は品川、西は新宿、東は浅草。この東京の都心を取り巻く四角い地域に限定して集中的に開発を進めるという戦略です。

 用地取得の担当者には「このエリアの用地情報以外は持ってくるな」と厳命しました。アパはあちこちでホテル建設を進めているように見えるかもしれませんが、先ほど申し上げた地域でしか建てていません。

 エリアを絞った理由は、リーマン・ショックで最も地価が下落したところがその後に値上がりするだろうと考えたため。そして、リーマン・ショック後にどこが一番下がったかと言えば、前述したような都心の一等地です。

アパホテルを展開するアパグループの元谷外志雄代表。都心の一等地でホテルに集中投資している(写真:吉成大輔)
アパホテルを展開するアパグループの元谷外志雄代表。都心の一等地でホテルに集中投資している(写真:吉成大輔)

一足早い“貸しはがし”が奏功

リーマン・ショックで不動産会社の多くは大打撃を受けました。投資する余力はあったのですか。

元谷:リーマン・ショック前の07年に建物の構造計算書を偽造した耐震強度不足が社会問題になりました。当初はマンションの話でしたが、(アパグループのホテルにも強度不足のホテルがあることが明らかになり)それを心配した銀行から借入金の返済を求められました。当時はファンドバブルの最中で、ホテル建設のために取得していた土地を売却して借入金の返済に充てたんです。

 言ってしまえば、ほかの会社よりも早い段階で銀行の対応が厳しくなったことが奏功したということです。その後、リーマン・ショックの影響で景気が悪くなり、地価が暴落しましたが、ファンドバブルの時に不動産を売却したため、借入金を返済した後も資金が残っていました。その余剰資金で都心部の土地を買い始めたんです。今の3分の1から4分の1の値段で買えたところもあります。今は全て値上がりしています。

現在、アパホテルは都心で73のホテル(建築中、建設予定も含む)を展開しています。その大半の土地は、その時に買ったという理解でいいでしょうか。

元谷:ええ。ほとんどは銀行が持ってきた案件です。リーマン・ショックの直後、景気悪化の直撃を受けたマンションデベロッパーは銀行の“貸しはがし”にあっていました。持っている土地を売りなさいと銀行が不動産会社に指導したんですね。そういったマンション用地を我々は買っていきました。

 持ち込まれた不動産の中には地上げが進まない土地や狭小地、変形地などもありました。こういった土地はマンション用地としては適していませんが、ホテルであれば設計次第でなんとかなります。土地の形状よりも、「駅から何分の土地か」ということが大事だと思っていたので、「形はいびつでも、地下鉄駅から徒歩3分以内の用地は買うように」と担当者に伝えました。

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