著書でも触れていますが、ヨーロッパの観光地は中心市街地の外側にバスやレンタカーの駐車場などをつくっているところが少なくないようです。

カー:ヨーロッパの数百という都市は中心市街地から車を排除しています。例えば、バルセロナは京都でいう四条通や烏丸通、五条通などの幹線道路には車両を入れますが、それ以外の路地は車の進入を制限しています。もちろん、住民は構いません。でも、観光客のレンタカーは入れない。

観光客にはなるべく歩いてもらった方がいい

 日本の商店街は車のアクセスが悪いとお客さんが来なくなるという古い感覚を持っていますが、逆に観光客が町を歩くようになれば商店街が潤う。車が減って路地がウオーキングストリートになれば静かになるし混み合わない。観光客にはなるべく歩いてもらった方がいいんですよ。歩くのが嫌な人は東京に行けばいい(笑)。

 

市場に任せっぱなしにするとカオスになるということですね。

カー:そうなんですよ。観光客に来てほしいという一心で安く、便利を追求すると町がどんどん崩れていきます。その町の文化や歴史に関心があれば、少々不便、少々高い、少々ぜいたくだとしても観光客は来るでしょう。逆に、安価だから来るという観光客は減らしていった方がいいと思います。

 例えば、このお寺(正覚寺)の裏に嵐山の「竹林の道」がありますが、今は外国人観光客であふれています。観光客が増えれば竹の手入れやトイレの整備などで負担は増えますが、普通の小道ですから収入はゼロです。何のメリットもありません。逆に文化的なダメージがはるかに大きい。

 竹林の道が典型ですが、京都の魅力はその静けさと瞑想(めいそう)的な雰囲気にありました。竹林の道をゆっくり散策しながら思索にふける。京町家の小道を歩きながら京都の歴史に思いをはせる。その特殊な雰囲気が京都を京都たらしめていたと思います。でも、今は自撮りする観光客だらけで瞑想も何もない。

 僕が若い時は旅行客も少なかったので、アドベンチャー的な感覚で自由に旅ができました。誰も知らないモノを見つけたり、地元の人々との突然の出会いがあったり、まさに旅の醍醐味を楽しんできました。そういう旅の魅力を体験してきただけに本意ではありませんが、誰でもウエルカムという時代は終わりました。これからは制限の時代です。

入場料を取ったり、予約制にしたりということですか?

カー:そうです。僕だってこんな対策はいいことだとは思いません。でも、現実を見れば、遅かれ早かれ高い入場料を取って来場者を制限する必要があると思います。入場料を高くするとお金持ちしか見られなくなってしまうので、抽選でもいいかもしれない。

 この間、世界遺産「天龍寺」の曹源池庭園に行ったときに曹源池の手前の砂のところを大勢の観光客が歩いているのを見ました。別にあの場所を歩くことは認められているので観光客に非はありませんが、曹源池庭園の魅力は曹源池だけでなく、嵐山の借景やあの美しい白砂など様々な要素で構成されており、それを眺めることに価値があったはず。ああいうことを認めてしまうと、天龍寺の文化的な価値は下がってしまう。

 曹源池庭園を訪れる人の中には有名な観光地だから何となく見にくるという観光客もいると思います。そういう観光客が曹源池庭園を見て、京都の文化の奥深さに気づくという面もありますが、お金を払っても見たいと思う人々を相手にすべきです。天龍寺は入場料を取っていますが、もっとお金を取って本当に来たい人だけに絞った方がいい。

伏見稲荷大社の観光公害は悲惨

神社も同じですね。

カー:お寺は門があるのでまだ管理できますが、神社は出入り自由なので状況はさらに深刻です。伏見稲荷大社の観光公害なんて悲惨ですよ。有名な真っ赤な鳥居は観光客であふれかえり、風情も何もありません。賽銭(さいせん)箱に投げ入れられた各国の小銭の選別も大変で、いいことは何もない。

京都では檀家や氏子の減少で敷地を売却して移転したり、不動産業者に敷地を貸したりする例が散見されます。京都市内にあった豊臣秀吉ゆかりの「出世稲荷神社」跡地は高層マンションになりました。世界遺産「仁和寺」の目の前にもホテルが建ちます。

カー:檀家や氏子の減少は日本が抱える構造的な問題で解決することは難しいですが、入場料などを取れば景観の維持に少しは役に立つのではないでしょうか。

「お金を払っても見たいという人々を相手にすべきだ」とカー氏
「お金を払っても見たいという人々を相手にすべきだ」とカー氏

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