1982年に業界初の耐火被覆吹付けロボットを開発した清水建設は、左官仕上げロボット(87年)、天井ボード貼り付けロボット(89年)、鉄骨柱溶接ロボット(92年)などを相次ぎ開発し、建設現場に導入した。だが、バブル崩壊で事業環境が悪化したうえ、ロボットの使い勝手が悪かったため、開発は徐々に縮小。90年代半ば以降、新たなロボット開発は行われなくなっていた。

「建設現場のプロ」が考えたロボット
それから約20年後に清水建設のロボット開発を復活させることになる印藤氏は、同社に入社後、ロボットではなく国内外の様々な建設現場を渡り歩いてきた。30カ所の現場を経験し、小豆島大観音(香川県土庄町)やシンガポールのチャンギ空港第3ターミナルなど17カ所では所長を務めた「現場のプロ」だ。
印藤氏が常に考え続けてきたのが現場の作業効率の改善だ。構造上、重い資材を2階部分に置けないチャンギ空港の現場では、大型クレーンを使わずに屋根を作る工法を開発し、全長1350メートルの巨大ターミナルを完成させた。現場の負担を減らすことを常に考えていた印藤氏にとって、ロボット活用は自然な流れだった。
「昔見ていたものより、進化したロボットが作れるかもしれない」。2014年、スイス連邦工科大学教授が作ったロボットが、アームでレンガを組み立てる姿を見て、印藤氏は気づいた。大学を訪問すると、ロボットが自立歩行したり、アームを使って何ができるか試したりしていた。建設現場で使うロボットのイメージができた。

折しも同年、日本建設業連合会は、25年に35万人分の省人化が必要という試算を発表。建設業での人手不足の深刻化と、ロボット技術の進化という環境変化がロボット復活を後押しした。新規プロジェクトとしては破格の10億円の予算も下りた。
印藤氏は現場経験の長さから、「作り手が作りたいものを作ってもダメ。現場で異物と認識されないものが必要」と感じていた。プロジェクトが始まるとすぐ、10人以上の現場の所長や工事長へのヒアリングを実施。「使うとしたら、どういうロボットがいいか」と対面で聞いた。アンケートや打ち合わせでは「今あるものについての意見は出てくるが、まだないものについてはなかなか分からない」(印藤氏)からだ。実際に話すことで想像を広げ、現場の声を聞いた。
Powered by リゾーム?