M&A(合併・買収)と聞くとネガティブなイメージがつきまとう。日経ビジネス5月13日号「売られた社員 20の運命 シャープ、東芝、タカタにいた人の今」では、M&Aの後に社員を待ち受ける運命を研究した。
企業買収によって苦労する社員もいるが、中には買収を機に社員が幸せになれることもある。その象徴的な事例が、ソフトバンクによる球団買収ではないだろうか。福岡ソフトバンクホークスの吉武隆取締役は「まあ、そうですね」と答える。実感として球団が強くなり、球団経営や関連事業の企画・営業がしやすくなった。会社がよくなり、社員のやりがいも増したと断言できるという。
ホークスが福岡を拠点としてから今年で30年目。球場周辺はファンや買い物客でにぎわう
ソフトバンクが球団を買収に名乗りを上げたのは2004年。「オーナー企業の業績悪化などで先行きが不透明になっていた時に買収の発表を聞いた。社員にとっては待望の知らせだった」。総務部長の深町俊宏氏もこう話す。2人はダイエー資本時代から球団・球場に関連する企画・営業に関わってきた。
当時、球団オーナーだった小売り大手のダイエーは業績が悪化し、産業再生機構からの支援を受ける状態だった。球団関係者の間では「チーム名は産業再生機構ホークスになるのか?」といった冗談が半ば真剣味を帯びて噂されるほど、社員は不安がっていたという。
球団経営と並んで、球場・ホテル・商業施設の通称「3点セット」はダイエー資本の別企業が運営していた。こちらでも03年に業績悪化のため投資会社の米コロニー・キャピタルに施設を売却。当時、吉武氏と深町氏は、コロニーの関連会社で球場関連の仕事を続けていた。
球団がソフトバンクに買収された後の05年2月、後に球団と合併する企画・営業会社の福岡ソフトバンクホークスマーケティングが設立。2人は出向社員として働き、同年12月には正式に移籍した。
投資を惜しまぬ孫正義オーナー
オーナー企業が“中内ダイエー”から“孫ソフトバンク”に変わって、球団経営は何が変わったのか。「やっぱり資金の使い方が全然違う」と吉武氏は話す。
例えば、ホークスは「鷹の祭典」というファンにユニフォームを配布するイベントを続けているが、過去には「ユニフォーム代を出してくれるスポンサーを見つけなければ企画が通らなかった」(吉武氏)。それがソフトバンク傘下に入ると、「何も言われずにイベント開催が続けられた」(同)
自費興行も増えた。球場をお化け屋敷にする「お鷹の呪い」や音楽フェスティバル「MUSIC CIRCUS」などを開催。赤字になってしまうイベントもあったが、ソフトバンクは挑戦したこと自体を評価してくれた。こうして地域が活気づくと、球場を借りる企業も増え、球場利用料などの収入も増えていった。
法人顧客の幅も広がった。例えば球場に出す広告スポンサーは、親会社のつながりが影響しやすい。ダイエー時代にはスーパーに商品を出すような食品や日用品業界の関連会社が中心だったが、ソフトバンク傘下になってからは通信機器などのハイテク産業、通信を使ったサービス業など幅広い業界が広告主に加わった。
06年にソフトバンクが英ボーダフォン・グループの日本法人を買収し、携帯事業に参入すると、営業先は一層広がった。
そして営業活動を強烈に後押ししたのが、球団の強化だ。「チームが強くなることが一番ありがたい」(吉武氏)。ダイエー時代の初優勝を飾った99年以降、ソフトバンクが買収する2004年までホークスは毎年リーグ首位争いをする好成績だったが、買収後は成績が低迷。08年には勝率4割5分、リーグ6位に沈んでいた。しかし孫正義オーナーの「めざせ世界一!」という宣言通り、最新の練習設備を整え、三軍制を導入して選手層を厚くするなどの強化策が徐々に花開く。
10年に再びリーグ優勝を果たすと、以降はほぼ毎年優勝争いを繰り広げる常勝チームとなった。「お化けフォーク」で知られる投手の千賀滉大選手や、「甲斐キャノン」の異名を持つ強肩捕手の甲斐拓也選手など、三軍出身の選手もリーグ優勝に貢献。選手育成でも他に類を見ない実績を出している。
ホークスのリーグ順位。けが人続出するも、今年も首位争いを繰り広げる
注:2019年は5月6日時点
球団が強くなると、それだけ放映権が高く売れる。試合に勝つほどに視聴率があがり、「その分、球場に出す広告もスポンサーが付きやすくなる」(吉武氏)。球団関連のイベントは盛り上がり、ファンの来場数も毎年のように増えていった。
その熱気が伝搬するように、球場周辺には商業施設が充実しだした。18年には大型商業施設「MARK IS 福岡ももち」が営業を開始。20年には球場に隣接する球団の自社ビルが完成し、ドームと連携して野球だけにとどまらないエンターテイメント施設として事業展開する計画だ。
ソフトバンク傘下になって社員の給料も上がった。元々、野球事業の企画・営業をしていた会社の主業はホテル運営。社員の給与水準も福岡県のホテル従業員の水準だった。
それがソフトバンクグループ基準の給料になり、昇給の制度もかわった。評価の仕方は大きくかわらないが、「100点満点の減点方式から、働き次第で150点や200点といった評価も得られる加点方式になった」(深町氏)。チームが優勝した時の特別ボーナスなども含めれば、ダイエー時代に比べて「年収が1.5倍以上になった社員もいる」(同)という。
福岡ソフトバンクホークスの球団経営やマーケティング事業は、人材や働き方といった面では買収の前後で特に変化があったわけではない。コロニー・キャピタル傘下の頃は経営改善のために様々な制約があったが、ソフトバンク傘下になってからは「自主性にまかせてくれている」(吉武氏)。それでも、社内の雰囲気は「以前とは完全に別物」(深町氏)だという。
ソフトバンク入りで戸惑ったことをあえて挙げると「急に会議で横文字が増えたこと」(吉武氏)。ソフトバンググループの社員と会議をするたびに、今まで使ったことがないような言葉が飛び交う。最初は「コンサバってどういう意味だ?」「アグレッシブなプランって、つまりどういうこと?」「コンセンサス……。意味は分かるが、なぜ横文字で言う?」などと戸惑っていた。が、そんな“横文字会議”にもすぐに慣れたという。
ファンにも伝わる挑戦の姿勢
そんな変化をファンも感じ取っている。北九州市から来ているという50代の女性ファンは、「球団の名前が変わったころから、設備がすごくきれいになった」と語る。20年以上、ホークスを応援しにドームに通っているという。
以前は「ドームの座席にホコリが積もっていて、『こんなところから見るのか』と思ったこともあった」が、最近は「球場もきれいになって、商業施設も増えた。昔に比べると、うんと活気がある」という。ドーム買収もよい成果を生み出たようだ。
ソフトバンクは12年、コロニー・キャピタルから球場を買っていたシンガポール政府投資公社から約870億円で球場を買収。年間約50億円かかっていたドーム利用料がなくなり、設備維持費を考慮してもコスト削減になった。また、現状復帰義務がなくなったことで設備の改修をしやすくなった。
球場を買収したことで改修がしやすくなった。以前に比べると設備が新しくなり、広告が増えた
例えば、応援席のシートの色を変えて命名権を売った。観客は「コカ・コーラシートを1つ」といったように観戦チケットを購入するわけだ。ほかにも客席の外周エリアをチームカラーの黒と白でリニューアルした。
ポスターで埋め尽くされていた掲示板を撤去し、取り付けた液晶ディスプレーで映像広告を流したりした。シーズン外には映像に切り替えるなど、ドーム利用イベントの誘致をしやすくなったという。「最近はシーズンのたびに球場のどこかが新しくなっている」と、ソフトバンク傘下になってからファンになったという30代の男性は笑う。
チーム成績がよくなり、客席が満員になることも珍しくない。ドームが自社所有物になったことで、最近になって一部施設を撤去して座席数を増やしたりもした。
センタースクリーン横には大型モニターを設置した。広告看板だったころの3割ほどの費用で5つの広告映像を流し、収入を1.5倍にするといった施策もできた。球場買収で、ますます企画・営業の担当者ができることが広がった。
球場が活気付くと、併設する飲食店などの誘致もしやすくなった。英国風パブ「HUB」を運営するハブは、初の九州進出先をこのドームに決めた。野球観戦をしながらお酒が楽しめる特別席も用意し、オフシーズンも営業をする計画だ。もはやホークスとドームは、街の中心になったといっていい。
平成で最も売られてよかった企業。それは福岡ソフトバンクホークスかもしれない。
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