飲食店経営が順調に進む中、次に挑戦したのが貿易事業。運営していたレストランバーでは珍しい食材やお酒を扱っていたこともあり、原価は高かった。借金玉氏には「生産から流通、顧客への提供まで全てを抑える」という目標があり、その達成を目指しての事業展開だ。仕入れ原価を下げながら、販売も同時に進め、利益を上げるという目算だった。

現場を離れ事態が急変

 だが、ここから暗雲が垂れ込める。問題が発覚したのは現場を離れてから1年後のこと。帰国すると、順調だったはずの飲食店経営が傾いていた。原因は、現場監督を任せていた社員の横領と職務放棄。売上げの抜き取りに始まり、アルバイト社員へのハラスメント行為も確認された。稼ぎ時であるはずの金曜日の夜に勝手に休業していることもあり、顧客満足度は低下。借金玉氏が輸入した食材は他店に横流しされていたという。

 従業員の裏切りにあったことで、借金玉氏は鬱病を発症。また、貿易事業も販路を築けず収益は黒字にならなかった。経営は悪化の一途を遂げ、資金が底を突いたのが起業から4年後のことだった。

 こうして死を覚悟した借金玉氏。布団から起き上がることができず、精神科への通院もままならなくなった。「こんな状態で合計7000万という大金はとても返せない」。そう感じた同氏の脳裏に走ったのが、生命保険の死亡保障の5000万円で一部を返済する計画だった。

 窮地を救ってくれたのは、最初に資金を用立ててくれたA氏だ。「お前が死んでも俺は得をしないし、生命保険で返すなんて情けない真似はするな。早く次のプランを考えろ」と厳しい励ましの言葉を投げかけてくれたという。

 こうしてはいられないと奮起した借金玉氏は、時間をかけて通院を再開。鬱病の症状が落ち着いてから、「同じ廃業をするにしても、1円でも多く借金を返したい」と考え直し、残った資産の売却に奔走した。幸いにも店にブランド力があったことと、固定客がいたことで資産として価値があり、想定していたよりも高い値段で売却をすることに成功。懸念だった地方銀行の4000万円も、店舗の売却金とA氏からの追加の融資で賄うことが出来た。

 その後、借金玉氏は非正規の営業職や文筆業で生計を立てながら、少しずつ投資家に返済しようとした。元々小説家になる夢があり、学生時代も執筆活動をしていたためだ。実際に、自身の体験談を綴った書籍『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』を上梓すると、思わぬヒットにつながり、「これでようやく返済のめどが立った」と安堵した。

 しかし、肝心のA氏は借金玉氏を作家としてではなく起業家として評価していたこともあり、「本物の起業家になって10億にして返せ。お前に対する長期投資はまだ終わっていない」と突き返してきたという。A氏の熱意に打たれた借金玉氏は文筆業を続ける傍ら、次の起業を目指している。「あくまで起業家として、また新事業にチャレンジしたい」と語る同氏の顔には、自殺を考えるような悲壮感はなかった。

日経ビジネスの4月8日号特集「起業、失敗の後」では、事業を起こしたものの挫折した人の証言から、現代版起業の現実を探った。