自由度が高く高収入でもあった「トラック野郎」という仕事(写真:アフロ)
自由度が高く高収入でもあった「トラック野郎」という仕事(写真:アフロ)

 「心から好きと思えることを仕事にすれば、幸せに働き続けることができ、ベストな人生に近づくはず」は多くの人の共通認識だ。だが、現実は甘くない。

 「好きを仕事に」を成立させるには例えば、①自分が好きで得意なことを自分のペースでできることと、②特段の不自由なく暮らしていける報酬が得られること、の2条件が必要だ。どんなに好きなことでも人に命令されて体を壊すまでやれば辛くなるし、どんなに好きなことでも食べていけなければ仕事として成立しない。

 ただそれでも、昭和の時代までは、「好きを仕事に」して幸せな暮らしをする人達が今よりはいた。その代表が「トラック野郎」だ。日経ビジネス2019年2月18日号「どこにある? ベストな人生」では、一世風靡したこの昭和の名作を「働き方」の視点から研究してみた。

昭和の名作に学ぶ「好きを仕事に」の本質

 菅原文太さん扮する長距離ドライバー、星桃次郎の活躍を描いた「トラック野郎」は1970年代を代表する人気映画シリーズ。愛車「一番星号」を飾り付け、自慢の運転技術で夏は北へ冬は南へ自由気ままに旅しながら暮らす様は、まさに「好きを仕事に」の典型例だ。

 製造も小売も成長途上だった70年代は、物流産業も未発達な上、契約が決まるたびに配送事業者を探す企業も多く、桃次郎のようなフリーのドライバーでも甘みのある仕事を直接、請け負える機会が随所に残されていた。

 ある意味では、運搬ルートも、運ぶ荷物も、自分で自由に決められる状況。映画を見ても、第1作「御意見無用」では東北、第2作「爆走一番星」は新潟から九州、第3作「望郷一番星」では北海道、第4作「天下御免」は四国が主な舞台。営業エリアもばらばらなら、荷物も果物、野菜、魚介類とばらばらだ(第5作「度胸一番星」から最終作である第10作「故郷特急便」までも状況はほぼ同じ)。「トラックを運転できる」に留まらず「日本全国を自分ペースで旅しながら様々な仕事をする」という自由度の高い仕事だったのだ(条件①の成立)。

 こうした状況はフィクションによる誇張ではない。リアルでも、愛鷹パーキングエリアで休憩中のドライバーは、「桜前線の北上に合わせて仕事を請け負い、全国各地で花見をしていた」と先輩社員から聞いた伝説を話す。

 では、条件②の収入面はどうか。これも悪くない。「バブルの頃には未経験でも年収1000万の求人がいくつもあった」と、当時を知るドライバーたちは口を揃える。

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