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 「台湾民主化の父」とも呼ばれた李登輝元台湾総統が7月30日、亡くなりました。97歳でした。李氏は台湾出身者で初の総統に就き、1996年から12年間の在任期間中に台湾の主体性を重視する「台湾人意識」の醸成に力を注ぎ、台湾住民による総統直接選挙を実現させました。

 かつて、台湾には終戦後に中国大陸から渡ってきた「外省人」が、当局や国営企業の要職に就く政治・社会構造がありました。それが大きく変化したのは、李氏が手掛けた政治改革、教育改革に負うところが大きいと言えます。「自分たちの将来は自分たちで決める」という、民主主義の基本的な価値観を「本省人」の台湾住民に示したことで、中台統一を目指す習近平(シー・ジンピン)政権と距離を置く、現在の台湾の立ち位置の基礎が出来上がりました。

 そんな李登輝氏は、「22歳まで日本人だった」と常々公言するなど、大の親日家でありました。日経ビジネスが戦後70周年の特別企画「遺言 日本の未来へ」で2015年3月8日に実施したインタビューでは、リーダーになるために大切な条件を武士道から学んだことにも触れています。

 加えて「指導者は理想や考えを示すだけではだめで、実践して初めて意味を成す」と、有言実行の重要性にも触れています。もともとは学者を目指していた李登輝氏。インタビューでは「自分は頭でっかちになりがち」とも語っていました。理論と実践のバランスを気にしつつ、地に足の着いた政治を何よりも心掛けていたのかもしれません。

 2015年3月のインタビューでは、台湾語を交えながら大きな声で話していた元気な姿が印象的でした。現在のコロナ禍における世界各国のリーダーの振る舞いを、彼はどう見るでしょうか。

 李氏をしのび、当時のインタビューを再掲載します。ご冥福をお祈りします。

 ※当時の掲載は日経ビジネスオンライン 2015年7月29日付

李登輝(り・とうき)
台湾・三芝出身。旧制台北高等学校を経て京都帝国大学農学部へ進学、在学中に志願して学徒出陣。1945年敗戦により学業半ばで台湾へ帰国。台湾大学に編⼊・卒業する。台湾大学教授などを経て72年より政界へ。88年蔣経国総統の死去により総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙を実現させ当選、総統を12年間務める。米コーネル大学農業経済学博士。1923年1月生まれ。2020年7月30日死去。(写真:賴 光煜)

 皆さんご存じの通り、台湾は戦前まで日本の統治下にありました。1923年生まれの私は、22歳まで日本人でした。日本の教育、中でも読書を通じた思想形成が、私に大きな影響を与えたのは言うまでもありません。

 日本人は台湾に博物学、数学、歴史、地理、社会、物理、体育、音楽などを持ち込み、公学校(日本地統治下の台湾に1898年から開設された初等教育学校)で教えた。それを通して台湾人は、世界の知識や思想の潮流を知ることができました。それまで台湾人が教わっていたのは四書五経だけ。儒教や科挙といった伝統の束縛から解放してくれたのは、日本の教育でした。

 出身は台湾北部の三芝です。生まれたところには3カ月しか住みませんでした。父は警察官僚で転勤が多く、国民学校の6年間で4回も転校しました。友達をつくる環境じゃなかったんです。兄が1人いましたが、祖母の家で暮らしていて、私は独りぼっちだった。

 だから本を読んだり、絵を描いたりして過ごすのが、学校から帰った後の日常でした。私はよく周りから読書家といわれますが、友達がいなかったから本をたくさん読んでいたのです。そんな私に、父は玉川学園出版部(現在の玉川大学出版部)が出していた1冊4元の『児童百科大事典』を買ってきてくれました。4元といったら、当時の父の給料の15%もする値段です。隅々まで面白く読みました。