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 それで、沖縄に来る観光客の数は復帰前年には24万人だったんですが、それを10年間で10倍の240万人、1000万泊にすることを目標に掲げた。結局、14年かかりましたが、その後も観光客は増え続けています。

 しかし、沖縄観光が成功する一方で、日本の青春もそこで終わったんです。

「団塊の世代」の警鐘、聞き入れられず

 そして石油ショックが来て、これで日本の青春が終わります。その後の10年を私は「紫雨の季節」と呼んでいるんです。温度は高いけれども、ロッキード事件が起こるなど何となく気色悪い。そんな時代が10年も続いたわけです。

 この間に日本は、新しい産業、経済社会体制を作るべきだった。だけど、その時はまだイケイケどんどんの香りが高かったから、政治的にはロッキード事件など気色悪いことがあったけれども、経済的にはみんなまっしぐらに規格大量生産を追求していました。

 日本万国博覧会の頃に、吉田寿三郎さんという厚労技官が来られて、戦後ベビーブーマーの問題が大変なことになると警鐘を鳴らされました。それを私は、「団塊の世代」と名付けたんですが、吉田さんは終戦直後に膨れ上がった人口がだんだんと年を取り重荷になるので、その時に備えなくてはならないとおっしゃっていた。しかし、それは当時の厚生労働省では完全に少数意見で、むしろ日本の最大の問題は人口過剰にあるという見方がまかり通っていた。

 従って、海浜や沼沢を干拓し、離島や山間に道路を造って、いかにして可住地を広げるか、これが最大の課題だと言っていたわけです。人口過剰に対応するために、何としても土地を作らないといけない。このためには公共事業をばんばんやるべきだというような考え方です。田中角栄さんはその代表でしょう。それが、その後のバブルに繋がっていくんですね。

 そもそも敗戦で日本人のメンタリティーは、物量崇拝と経済効率礼賛に180度変わっていました。戦争に負けたのは、アメリカの物量に負けたのだと。それが規格大量生産で高度成長を引っ張る原動力になっていました。