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「兵隊はアホやで」と大阪市民は冷めていた

 終戦間際のことで、今でも記憶に鮮明に残っているのは、私の知る限り、大阪市内では反戦運動や停戦を求めるような動きは全くなかったということです。勝っている時にもちょうちん行列や旗行列もあった、という記憶はありません。

 大阪市民は冷めていたのかもしれませんね。もしくは、まあ、いい加減だったんでしょう。

 昭和19年、つまり敗戦の前年の11月か12月、学校で教えられた通りに町で出会った陸海軍の将校に挙手の敬礼をしていた時のことです。初めの頃は「行儀がいい」とか、「かわいい」とか言う声があったのに、その頃には「あの子ら何をやっているんね。アホやな。兵隊はアホやで」と、聞こえよがしに語る人が増えていました。

 だから、少なくとも大阪の中心街では、既に昭和19年の年末にはそういう雰囲気が漂っていたのです。負け戦を感じ始めていて、その感情を抑えきれなくなっていたのでしょう。

 その当時とはどんな時代だったかというと、B29が時々10機ほどの小編隊で、近所にあった砲兵工廠に爆弾を投下していました。まだ絨毯爆撃は始まっていませんでしたが、物資はどんどんなくなって食糧難になりかけていました。徴兵検査で不合格になった人まで徴兵されるような時代で、町では「贅沢は敵だ」ということで防空演習が盛んに行われていました。

 それで年が明けた3月、東京大空襲は3月1日ですが、大阪は13日に大空襲がありました。その頃からしゃかりきになって一億玉砕という人が出たんですが、私は疎開前の昭和20年1月、先生が「一億玉砕」ということを言い出したことを覚えています。私は一瞬考えて、「日本国民一億が玉砕したら、この戦争は負けではありませんか」と先生に聞いて、ぽかぽか殴られた記憶があります。

官僚システムの行き着いた先が「一億玉砕」だった

 私がこうした戦争中の経験から今に思うのは、なぜ一億玉砕が言い出されたのか。これが官僚システムの恐ろしいところだ、ということです。官僚というのは、消去法で可能性のある道だけを探る。要するに、この戦争は勝てない。しかし、日本は降参しない。そうすると玉砕よりほかはない。だから悪人でもアホでもない軍人や官僚が、真剣に一億玉砕だと言っていた。小学校の先生まで同じことを言い触れていた。