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 1970年代から世界で活躍する音楽家、坂本龍一氏。2014年に病を患った後も、映画音楽やオリジナルアルバムのリリースなど音楽シーンの最前線で活躍を続けている。「津波ピアノ」のような“自然な音”を模索するなど、新しい音楽の探求にも積極的だ。

 中国の台頭などで国際的な存在感が低下しているとも言われる日本。だが、坂本氏のように長く世界で活躍し続けている人物や果敢に世界に打って出る人物もいる。日経ビジネスは2月4日号の特集「世界を動かす日本人50」で、世界を舞台に新たな地平を切り開いている日本人にフォーカスした。特集記事では、坂本氏を含む50人を紹介している。

 およそ40年にわたって世界を動かし続けてきた坂本氏は今どんな思いで音楽を作っているのか。ここでは1月7日に米ニューヨークで実施した坂本氏へのインタビューを掲載する。

2014年に中喉頭がんを公表した後、1年ほど休養していましたが、2016年に公開された映画『レヴェナント:蘇えりし者』の音楽を制作するなど、すぐに第一線に復帰しました。まず最近の活動についてお聞かせください。

坂本龍一氏(以下、坂本):今の話をすれば、正月明けから忙しくて悲鳴を上げそうです。フランス人とイタリア人の映画監督の音楽を同時並行で進めています。これは2月末までに終わらせないといけません。加えて、僕がとても尊敬している現代アーティストの個展がフランスであり、そのための音楽を頼まれています。李禹煥さんです。そちらも2月末までに終わらせる必要があります。

仕事量は以前よりも増えているのでは?

写真:Lisa Kato(以下同)

坂本:若い頃に比べればはるかに減っています。一番仕事をしていたのは30代、40代で1日16時間連続で仕事をしたり、3日間徹夜したり、ということを平気でやっていました。その頃は「才能というのは体力なんだ」なんてことを豪語していました。

 ただ、40歳過ぎから老化を意識するようになりました。40歳、50歳、60歳とどんどん体力が落ちてきて、4年前に病気になった。実は病気になる前から仕事量を減らそうとはしていたので、今は病気以前の8割くらいです。健康な食生活に留意し、旅行を控え、がんが再発しないように、ストレスのかからない生活をしようと気を遣っています。

中喉頭がんが判明したときは率直に言ってどう感じましたか?

坂本:自分が一番驚いたんじゃないかと思います。自分の健康を疑っていなかった。今にして思えば、半年ぐらい前から自覚症状はありました。ただ、全く疑っていなかったので、老化かなというくらいで。

 40歳を過ぎてから健康にはかなり気を遣ってきました。今でこそ健康ブームですが、当時からマクロビオティックのまねごとをしてみたり、野口整体や東洋医学に依拠したいくつかの治療を定期的に受けたり、かなりまめにやってきた方だと思います。ですから、自分の健康にはかなり自信があったんです。その自信は完全に崩れました(笑)。

 僕の祖父は亡くなる少し前までかなりたばこを吸っていましたが、それでも93歳の大往生でした。もちろん、気をつけた方がいいのは間違いありませんが、何をやってもなるときはなるな、というのが今の実感です。

がんという経験をして、自身の音楽に何か変化はありましたか?

坂本:死の淵をのぞいたからこそどうのこうの、というような三流小説のような話が僕は一番嫌いなので、その辺は自分を慎重に観察しています。大きな変化があったとすれば、闘病中の一番苦しい時期に音楽を全く聴く気がしなかったということだと思います。音楽を作る気も起きないし、音楽を聴く気も起こらない。40年以上、体力を酷使してやってきたことなのに。これはなかなか面白いと思いました。

療養中は何をされていたんですか?

坂本:本を読むような集中力もありませんし、音楽も聴く気が起こらない。音楽を聴くことは自分にとっては仕事なので仕事頭になっちゃうんですよ。普通の方はリラックスしたり、楽しんだり、踊ったりするために音楽を聴くと思います。でも、僕の場合は仕事なので、音楽を聴くと集中してしまう。それ自体がストレスになり無理なんです。DVDで映画をずっと見ていました。

逆に音楽を聴きたいと思った瞬間は?

坂本:つらい治療が終わって4カ月くらい経ってからでしょうか。体力が徐々に回復してきて、ようやく「聴いてやろうかな」という気分になりました。療養中とはいえこんなに時間があるのは学生の時以来なので、普段あまり聴かないような音楽を聴こうと。そこで若い頃から敬遠していたものをまとめて聴きました。