堺市の町工場から出発したシマノ。1980年代のマウンテンバイク(MTB)ブームで自転車部品メーカーとして飛躍し、今や海外売り上げが9割、営業利益率が20%近いグローバルニッチトップ企業だ。さらにコロナ禍で自転車通勤やアウトドアスポーツが再評価され、2020年12月期の通期営業利益予想は13.2%増の770億円へと上方修正している。自転車メーカーがこぞってシマノ製の部品を採用することから、「自転車界のインテル」とも称される同社。「自転車文化、自ら育てるシマノ、シェアトップの慢心越える」ではさらに成長を遂げたこの20年を分析している。創業者、故・島野庄三郎氏の孫にあたり5代目として会社を率いる島野容三社長に、数十年にわたってシェアトップを維持できる理由を聞いた。
![島野容三[しまの・ようぞう] シマノ代表取締役社長。1948年11月12日、大阪府生まれ。慶應義塾大学商学部を卒業後、1974年にシマノ入社。下関工場長や釣具事業部長などを経て2001年から現職。創業者の島野庄三郎氏は祖父。72歳。(写真:宮田昌彦)](https://cdn-business.nikkei.com/atcl/gen/19/00005/121600168/p1.jpg?__scale=w:500,h:333&_sh=0a20d80110)
新型コロナウイルスによって人々の生活は大きく変化しました。自転車や釣りといった事業領域ではどのような影響があったでしょうか。
島野容三・シマノ社長(以下、島野氏):交通手段としての需要ということで、海外を中心にスポーツ自転車の台数は伸びています。また、3密と対極にあるレジャーとして釣りや自転車は改めて評価されています。
それに加えて、例えば親子で釣りに出かけたらストレスの解消にもなりますよね。これだけストレスの多い世の中で、なおかつ毎日顔を突き合わせていたのでは少し息苦しい。こういった背景からもアウトドアレジャーは見直されてきています。ファミリーで釣りに行かれる方がコロナ禍で増えていると聞いています。
自然と触れ合いたい、というのは人間の本能です。自然の中で思い切り体を動かすことでリフレッシュもできる。こういった欲求は今後ますます強くなっていくと思います。世の中が都市化し、情報過多の社会になればなるほど、「その情報から逃れたい」という反動も高まるでしょう。今のこういった社会を生きる人にとって、「世の中のことを忘れて没頭する」「自然と対峙する」という感覚ほど、救いになるものはありません。
創業からずっと堺で事業を続けてこられました。この場所へどんな思いがあるのでしょうか。
島野氏:ここには世界遺産になっている古墳群があります。かつて仁徳天皇陵(大山古墳)を建造した際、土木工事に必要な鍬(くわ)や鋤(すき)を作るための鍛治職人が集まったというのが、堺の金属加工の始まりだと言われています。そこから火縄銃、刀、自転車の補修部品と発展し、今につながっています。
もちろん、そのような昔の技術はもう使っていません。ただ、心意気は脈々と受け継がれています。シマノは1921年に創業し、自転車部品を作り始めました。私はこの発祥の地から動くつもりは一切ありません。今や、自転車部品では97%くらいが海外のお客様ですが、何も不便は感じていません。関西国際空港へ行けばどこへでも飛んで行けますからね。

シマノは「日本発開発型製造業」の矜持(きょうじ)を持っています。売上高の90%は海外となりましたが、金額の半分は今も日本で生産しています。この比率は今後も崩すつもりはありません。日本人の精緻なものづくりを世界に提案し、評価を問う。これが基本姿勢です。
昔、1ドル70円台という円高になったことがありました。そのときでも、生産拠点を海外に移すことはしませんでした。ちなみに、シマノは日本で生産した製品はすべて円建てで販売しています。それだけ円高になると、お客さんにものすごく負担がかかってしまい、とても心苦しかった。もちろん売り上げも落ちました。ただ、そうした数字はあくまでも一時的な問題です。
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