5年間で最も大きな決断を迫られた瞬間

嶋津氏:ただ、組織マネジメントがやりやすかったのは、どのメンバーも「W杯を成功させる」という分かりやすい共通目的と、高いモラルを持っていたためです。これはどの組織でもそうだと思いますが、同じ方向を向いているというのは強い。私は事務総長としてそれらを束ね、御手洗会長とともに大きな方向性を決めることに徹してきました。

その点で、この5年間で最も大きな決断を迫られた瞬間は。

嶋津氏:大きな節目だったのは、新国立競技場が使えなくなったことでしょうね。開幕式、開幕戦、決勝戦の全てを新国立でやる予定でしたから。2015年の7月17日です。安倍首相が官邸で新国立の設計変更を表明しました。

日付まで覚えていらっしゃる。

嶋津氏:大きな試練、大きな曲がり角でしたからね。当時、日本ラグビー協会会長だった森喜朗さんを含め、すぐにいろいろな可能性を検討しました。もちろん「プランA」は新国立。ただ、「プランB」を早急にまとめる必要がありました。そこで実は大きかったのは、2009年に招致が決まったときに提出していたファイルでした。

 そのファイルには、横浜国際総合競技場で決勝戦をやることが明記されていました。当時は東京五輪・パラリンピックが決まっておらず、国立競技場の建て替えも正式に決定していなかった。その後、新国立の話が出て、「それならラグビーW杯も」という話になったんですね。

 招致ファイルをもとに、約1週間で自治体と交渉し早急にプランBを作り上げました。横浜市と東京都に依頼をし、開幕式や開幕戦、決勝戦を分担しました。政府も新国立の設計変更によってW杯の運営に支障が出ないよう、相当な配慮をしてくれた。もちろんいろいろな意見はありましたよ。でも、比較的スムーズに意思決定をし、プラン作成までできたと今では思っています。組織としても、これをきっかけに引き締まった部分がある。

 むしろ大変だったのは国内の調整より海外でした。ワールドラグビーが懸念を抱き、海外のスポーツメディアは「失われたナショナルスタジアム」と大きな見出しを打った。「やはり日本では開催できないのでは」という観測が流れ、「うちで開催してもいい」という国が現れた。個別名は申し上げませんがね。

そこでも、嶋津さんが掲げた「自治体との協調」という視点が生きた。

嶋津氏:そうですね。国内に関しては横浜市も東京都もすぐに意思決定してくれました。自治体との信頼関係は大きかったですね。

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