ラグビーW杯、事務方トップが語った「あの時の試練」
嶋津昭・ラグビーW杯2019組織委員会事務総長インタビュー
9月20日に開幕のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会。事務方トップとして組織委員会を率いた嶋津昭・ラグビーW杯2019組織委員会事務総長が、就任から開幕までの5年間を振り返る。総務省事務次官などを歴任した地方自治のプロフェッショナルは、「一生に一度」の組織をどう率いたのか。インタビューは、「まずはラグビーの魅力を話そう」という一言から始まった。
(聞き手は島津 翔)
いよいよラグビーW杯が開幕します。組織委員会は、1回限りのイベントのために集まった特殊な組織です。その組織運営について聞かせてください。
嶋津昭・ラグビーW杯2019組織委員会事務総長(以下、嶋津氏):いや、それより先にラグビーが持つ魅力について話しましょう。ラグビーの国内リーグである「トップリーグ」には、日本を代表する企業が集まり、ラグビーを通じて発信している。なぜ企業がラグビーに引かれるのか。
これは組織委の御手洗冨士夫会長もおっしゃっていますが、その理由はラグビーの「憲章」にあるんじゃないかと思うんですね。ちょっと、これ(国際統括組織であるワールドラグビーが発行するルールブック)を見てください。規約やルールなどが書かれているこの冊子のトップには、何よりも先に、「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」という5つのラグビー憲章が書かれています。
この5つの憲章が、ラグビーの精神をつかさどっているんです。ラグビーというスポーツは、精神を守るために規則やルールでさえ毎年のように弾力的に細かく変えている。珍しいですよね。
嶋津昭(しまづ・あきら)
ラグビーW杯2019組織委員会事務総長。1943年生まれ。67年、自治省(現・総務省)入省。同省財務局長、総務省事務次官を歴任し、2002年に退官。同年、全国知事会事務総長、04年、野村総合研究所顧問などを経て、14年3月から現職(写真:吉成 大輔)
その5つの憲章が企業を引きつけていると。
嶋津氏:この5つの憲章の価値が、そのまま企業の目指すものと一致しているんですよ。だから企業はラグビーに引かれるんじゃないかと思っているんです。テレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」じゃないけど、企業活動とラグビーが重なる部分がある。
御手洗会長も私もラグビーは素人です。でも、2人とも魅せられているんです。
W杯は一度きりのビッグイベント。一発勝負で成功しなければならないという組織をどう運営してきましたか。
嶋津氏:大会は組織委員会だけで運営しているのではありません。(統括組織である)ワールドラグビーや日本ラグビー協会はもちろん、12のスタジアムを運営する19の地方自治体やキャンプ地を引き受けてくれている自治体など、多様な主体がいる中で、協調しながら進めてきました。
組織委は面白い組織ですね。自治体や企業からの出向者、プロパーで採用した人、ラグビー協会関係者。私は必要に応じて少しずつ少しずつ人数を増やし、今は300人います。開幕を控えてそのメンバーの大半が全国のスタジアムに散っている。そして大会が終わったら使命を終える。私もこうした組織は初めてです。
5年間で最も大きな決断を迫られた瞬間
嶋津氏:ただ、組織マネジメントがやりやすかったのは、どのメンバーも「W杯を成功させる」という分かりやすい共通目的と、高いモラルを持っていたためです。これはどの組織でもそうだと思いますが、同じ方向を向いているというのは強い。私は事務総長としてそれらを束ね、御手洗会長とともに大きな方向性を決めることに徹してきました。
その点で、この5年間で最も大きな決断を迫られた瞬間は。
嶋津氏:大きな節目だったのは、新国立競技場が使えなくなったことでしょうね。開幕式、開幕戦、決勝戦の全てを新国立でやる予定でしたから。2015年の7月17日です。安倍首相が官邸で新国立の設計変更を表明しました。
日付まで覚えていらっしゃる。
嶋津氏:大きな試練、大きな曲がり角でしたからね。当時、日本ラグビー協会会長だった森喜朗さんを含め、すぐにいろいろな可能性を検討しました。もちろん「プランA」は新国立。ただ、「プランB」を早急にまとめる必要がありました。そこで実は大きかったのは、2009年に招致が決まったときに提出していたファイルでした。
そのファイルには、横浜国際総合競技場で決勝戦をやることが明記されていました。当時は東京五輪・パラリンピックが決まっておらず、国立競技場の建て替えも正式に決定していなかった。その後、新国立の話が出て、「それならラグビーW杯も」という話になったんですね。
招致ファイルをもとに、約1週間で自治体と交渉し早急にプランBを作り上げました。横浜市と東京都に依頼をし、開幕式や開幕戦、決勝戦を分担しました。政府も新国立の設計変更によってW杯の運営に支障が出ないよう、相当な配慮をしてくれた。もちろんいろいろな意見はありましたよ。でも、比較的スムーズに意思決定をし、プラン作成までできたと今では思っています。組織としても、これをきっかけに引き締まった部分がある。
むしろ大変だったのは国内の調整より海外でした。ワールドラグビーが懸念を抱き、海外のスポーツメディアは「失われたナショナルスタジアム」と大きな見出しを打った。「やはり日本では開催できないのでは」という観測が流れ、「うちで開催してもいい」という国が現れた。個別名は申し上げませんがね。
そこでも、嶋津さんが掲げた「自治体との協調」という視点が生きた。
嶋津氏:そうですね。国内に関しては横浜市も東京都もすぐに意思決定してくれました。自治体との信頼関係は大きかったですね。
チケットはまだ買える
いよいよ開幕です。嶋津さんは常に「全48試合を全て満員にする」と言ってきました。9月17日時点では95%近くのチケットが売れたと聞いていますが、手応えは?
嶋津氏:試合の前日まで売りますよ。ご存じの通り、チケット全180万枚のうち、半分を組織委員会がチケットサイトを通じてBtoCで売り、残り90万枚はワールドラグビーがBtoBで売っています。ただ、B向けには限界があるので、「ハンドバック」という仕組みで余ったチケットがワールドラグビーから組織委員会に戻ってくる。それを我々がチケットサイトに追加して売っています。
ただ、ワールドラグビーは準々決勝以降のまだ対戦相手が決まっていないカードのチケットを手元に持っています。なので開幕前に100%になることはあり得ません。チケットは計算上、10万枚ほど残っているので、まだまだ買えます。リセールの仕組みもあります。あきらめずにアクセスしてほしいですね。
開幕前に95%という数字をどう評価していますか。
嶋津氏:チケットの売れ行きについて事前に予測はしていません。満員にするという目標しか置いていないんです。ただ、ワールドラグビーからは他大会に比べて「非常にいい」という評価をもらっています。
誤算だったのは、チケットサイトのアクセスの約3割が国外からだったことです。これは2015年のイングランド大会の英国以外からのアクセスとほぼ同じなんですね。欧州は国同士が近く、ユーロトンネル(英仏海峡トンネル)で英国とつながっていますから、ほぼ同じということは非常に多い数字です。これはうれしい誤算でした。約50万人が来日するという計算になります。
これは日本のインバウンド(訪日外国人)誘致にとっても非常に喜ばしいことです。なぜなら今のインバウンドの中心はアジアですが、W杯はアクセス状況から見て、一番多いのは英国。総じて欧州が多く、次いでオセアニアなんですね。つまりインバウンドの構成が従来とは全く違う。
これが2020年の東京五輪・パラリンピックや2021年のワールドマスターズゲームズにつながっていくことを期待しています。
W杯は「東京大会」ではなく「日本大会」であることが大きな意味を持っていますね。
嶋津氏:おっしゃる通りです。日本の地域にとって大きな意味を持っています。これはスタジアムを運営する自治体やキャンプ地となっている自治体に限りません。例えば金沢市はオセアニアからの観客を集客しようと積極的に動き、結果、数千人が訪れると聞いています。
ラグビーW杯の観客は、非常に長いトリップをするという特徴を持っています。試合と試合の間に全国を飛び回って観光する。この波をどう地域の活性化につなげていくかは、それぞれの地域の努力によるところでしょう。
開幕直前の気持ちは。
嶋津氏:もちろん不安はありますよ。一番大きいのは気候リスク。すでに台風で選手の受け入れ時に成田空港で何時間もバスが到着しなかったという問題も起きています。でも、こればかりはいかんともしがたい。
イングランド大会は観客動員数247万人という記録を打ち立て、「レコードブレイキング」な大会と呼ばれました。我々が目指すのは「グランドブレイキング(革新的)」な大会です。ラグビーの地平線をアジアに広げる革新的な大会にしたい。
まずは開幕式。イングランド大会は(ルーツ国として)「Home of Rugby」をテーマにしました。我々は対照的に「Rugby for Tommorow」を掲げます。アジアの国々の若者を招待しています。ぜひ、ラグビーの未来を見てほしいと思います。
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