生まれ育った家庭環境によって生じる学力偏差。コロナ禍によって拡大する貧困は次世代を担う子供たちにどのような影を落とすのか。早稲田大学の松岡亮二准教授は「社会経済的地位」によって生じた教育格差は自己責任論では解決しないと説く。「生まれ」による相対的な差を解消するために何が必要か。松岡准教授に聞いた。

コロナ禍によって貧困層の拡大が懸念されています。教育は貧困を脱するための希望となりますが、生まれ育った家庭によって教育に格差が生じ、緩やかに社会的な階層が決まるのでしょうか。
松岡亮二氏(以下、松岡氏):本人に変えることができない初期条件である「生まれ」による「社会経済的地位(Socioeconomic status、 以下SES)」によって、全体の傾向として、教育の結果に差があります。こうした教育格差は、戦後の日本社会でずっと続いてきました。「2000年代以降に格差が拡大している」というような文脈で論じられがちですが、戦後に育ったすべての世代・性別において存在してきました。
1970年代には「一億総中流」社会となり高校への進学率も上昇しました。教育現場が荒れるなどの社会問題も発生したと思われますが、義務教育ではない教育機関への進学率が全国的に上昇すれば、生まれ育った家庭環境などによる教育格差は修正されるのではないでしょうか。
松岡氏:かつて、進学率が上がれば多くの人に学習の機会が行き渡って「生まれ」は関係なくなる、という見方がありました。ただ、現時点から振り返って答え合わせをすると、高校には大半が進学し、大学への進学率も上昇しましたが、「生まれ」による相対的な格差は縮まってきていません。かつて最終学歴が中学だった層が高校を卒業するようになっても、高卒だった層が大学卒業を目指します。全体が平均的に高学歴になると、経済的に有利な層が自分たちを周囲と差異化するために、より高い学歴を求めるわけです。
親が「自分の子供をより有利な立場にしてあげたい」と考えるのは自然なことです。社会経済的に恵まれた層がさまざまな資源を用いて子供の進学を有利に進めることで、社会全体として教育格差が維持される状況は戦後ずっと変わってこなかったと解釈できます。これは日本に限った現象ではなく、海外でも社会によって格差の大小に差はありますが傾向としては同様です。
Powered by リゾーム?