細山田:やっぱり対戦で、親子や友達と遊べるところでしょうか。入りやすく分かりやすい対戦ゲーム、というところですね。連鎖してぷよぷよが消える爽快感といった、ゲーム性がやっぱり素晴らしかった。連鎖の爽快感というのは、一度見たりとか遊んだりしてみると、目を閉じていても頭の中でずーっと連鎖し続ける、みたいな。

ありますね。

細山田:そこを意識しつつ、過去からずっとマルチプラットフォーム展開で、敷居を下げて老若男女どんどん入ってもらって、というのを、コアなファンだけじゃなくて、日本国民全体に対してアプローチしていました。

基本的に隙間産業、担当1人の時期もありました

で、話を戻しますが、ガンダム、マリオ、ポケモン、あるいはキティちゃんとかは、どれも社業の背骨というか、「このIPがコケたら会社もやばい、全社を挙げて支援せよ」というものですよね。先ほど会社の投資がブーム継続の肝とおっしゃいましたが、「ぷよぷよ」は、失礼ながらそこまでか? というと……。

細山田:「ぷよぷよ」に関しては、投資を継続しつつ、わりと隙間産業的な感じでずっとやっていますね(笑)。

隙間産業的な感じ(笑)。

細山田:極端な話、担当者が1人だった時代もあります。15周年が終わって次の「ぷよぷよ7」というタイトルを立ち上げる間、チームメンバーが卒業したり、他のプロジェクトに異動したりして、僕が1人でやってました。2007年、08年ぐらいですね。

ひえー。

細山田:「ソニック」や「ファンタシースターオンライン2」などの大型プロジェクトとかですと、100人を超える大規模な開発メンバーが必要ですが、「ぷよぷよ」のコア部分は内部でプロトタイプを作って、外注会社様と一緒に開発することが多いです。また、マルチプラットフォーム向けの移植は外注会社様にお願いすることが多いので、正直基本メンバーは10人ぐらいのチームで作れちゃうんですね、2008年の途中から今のコアメンバーが入ってきて「ぷよぷよ7」が09年に出た。

 少数精鋭のコアな開発メンバーで可能な限り低コストで面白くなる企画やデザイン、技術的な効率化を行いながら開発して、開発で削減した分を宣伝費にきちっと充てて、その収支のバランスを全体で取る。プロジェクトとしてはここが結構重要ですね。

しかし、セガ最大の知名度を持つゲームの担当者が1人の時代があったとは。

細山田:これはどこまでしゃべっていいかあれですけど、まあ簡単に言うと、結婚とか、早期退職とか、転職とか、人生の選択を迎えて、会社を去っていく人がたまたま重なった。

えっ、じゃ、会社の判断として「ここは細山田1人でよかろう」というよりは、いろいろな偶然や事件があってぼろぼろ落ちちゃって。

細山田:はい。「取りあえず、頑張れ」と(笑)。

えええ(笑)。

細山田:まあちょっと極端な話ではありますが、似た状況は結構他の会社さんやIPでもあると思いますよ。だから、あり得ない話じゃないですけど、問題は、僕が死んだらどうなるんだ、みたいなことで。

どうなるんだという話ですよね(笑)。細山田さんが「俺は『ぷよぷよ』と心中する」みたいな感じになったのはいつくらいからでしょうか。

細山田:心中(笑)。もともとは「1カ月だけ手伝って」という話だったんです。当時の上司が(コンパイルから譲渡された)「ぷよぷよ」って素晴らしいシステムだし、これをセガでもう1回立ち上げようと2004年に「ぷよぷよフィーバー」というタイトルを発売しました(アーケード版は03年、コンシューマー版が04年)。その後、当時の上司や担当プロデューサーも会社から離れることになってしまった。

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