京セラ創業者で名誉会長の稲盛和夫氏の功績の1つに、DDI(第二電電、現KDDI)の設立がある。戦後、日本電信電話公社(現NTT)1社だけだった通信業界に風穴を開けた。DDIは1984年の設立後、2000年にKDD(国際電信電話)やIDO(日本移動通信)と合併、KDDIが誕生した。
KDDI元社長の小野寺正氏は、稲盛氏の薫陶を受けた中心人物の一人だ。1970年に東北大学工学部を卒業後、NTTの前身である電電公社に入社。無線部門などを担当した後の83年、京セラの迎賓館として知られる和輪庵(わりんあん)で稲盛氏に出会う。
そして稲盛氏らに引き抜かれ、84年に36歳で第二電電へ入社。2000年、トヨタ系のIDO、KDDとの合併後、01年に社長に就任して同社の成長をけん引した。小野寺氏は、恩師・稲盛氏が掲げた、携帯電話「一人一台」時代を共に実現させた立役者でもある。利他主義を据える「稲盛イズム」を間近で見てきた小野寺氏が、鋭くも人間くさい恩師の一面を振り返る。

稲盛さんの訃報をどのように受け止めていらっしゃいますか。
小野寺正・KDDI元社長(以下、小野寺氏):京都の方から直接、お電話をいただきました。とうとう、この時が来てしまったのか、というのが正直な気持ちです。
お目にかかろうと思って何回かコンタクトはしていました。ただ、新型コロナウイルス禍もあって、かなわなかった。ご自宅には2回ほど伺ったことがあるので場所は知っています。たとえ周囲に止められたとしても、押しかければよかったなと、今になって思います。
最後にお会いされたのはいつでしょう。
小野寺氏:稲盛さんが英国から勲章(名誉大英勲章KBE)を受章した際に、英国大使館で開かれた授与式がたぶん最後ですね。2019年の11月かな。
いろいろな話をしましたが、当時はもう京セラとかKDDIとかの事業については「お前らに任せた」というスタンスでした。稲盛さんは大柄な人でしたが、以前に比べて一回り小さい後ろ姿に見えたのが印象に残っています。
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