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フィリピンで戦う日本軍(写真:Roger-Viollet/アフロ)

(前編はこちら

 日本は産業力が伴わないにもかかわらず、対中戦争を戦いつつ、対米戦争に突入していった。それどころではない、ソ連を加えた3カ国と同時に戦う方針を二度までも立てようとした。その背景には、政府と陸海軍が統一戦略を立てるのを妨げる明治憲法の仕組みがあった。高橋是清はこれを是正すべく、参謀本部の 廃止を主張したが……。引き続き、吉田裕・一橋大学大学院特任教授に話を聞く

(聞き手 森 永輔)

前編では、アジア・太平洋戦争中の日本軍が、その兵士をヒトとして扱っていなかった点について、伺いました。今回は、日本軍が総力戦*態勢を整えていなかった点についてお聞きします。

*:軍隊だけでなく、国の総力を挙げて実施する戦争。軍需物資を生産する産業力やそれを支える財政力、兵士の動員を支えるコミュニティーの力などが問われる

 食糧の調達が十分でなく、多くの餓死者が出ました。そこから容易に想像がつくように、他の軍需工業品についても、供給力が伴っていませんでした。産業に、総力戦を支える力がなかった。例として、吉田さんは軍靴に注目されています。

 雨のために凍死するものが続出した。軍靴の底が泥と水のために糸が切れてすっぽり抜けてしまい、はきかえた予備の新しい地下足袋もたちまち泥にすわれて底が抜けてしまった。そのために、はだしで歩いていた兵隊がやられてしまったのである。雨水が体中にしみわたり、山上の尾根伝いに、深夜はだしで行軍していたら、精神的肉体的疲労も加わって、訓練期間の短くて、こき使われることの最も激しい老補充兵が、倒れてしまうのも当然のことであろう。(『遥かなり大陸の戦野』)

(中略)

 頑丈な軍靴を作るためには、縫糸は亜麻糸でなければならなかった。亜麻の繊維から作られる亜麻糸は細くて強靭であり、特に、陸海軍の軍靴のように有事の動員に備えて長く貯蔵しておく必要があるものは、「絶対にこの糸で縫うことが必要である」とされていた(『製麻』)。

 しかし、亜麻は日本国内では冷涼な気候の北海道でしか栽培することができない。そのため、日中戦争が始まると軍の需要に生産が追い付かなくなった。北朝鮮や満州での栽培も試みられたが十分な成果をあげることができず、結局、品質の劣る亜麻の繊維まで使わざるをえなくなった。

(中略)

 以上のように、こうした基礎的な産業面でも、日本はかなり早い段階から総力戦上の要請に応えられなくなっていたのである。

 なぜ、このような準備不足のまま、アジア・太平洋戦争に突入したのでしょう。日中戦争については、意図せず戦線が拡大していった面があります。満州事変は、関東軍が勝手に始めたもの。時の若槻礼次郎内閣が意思決定して開始したわけではありません。日中戦争の火蓋を切った盧溝橋事件にしても偶発的に始まった。しかし、対米戦はそうとは言えません。真珠湾攻撃によって、こちらから仕掛けたわけですから。

吉田:おっしゃるとおりですね。対中戦争は国家意思に基づいて始めたものではありません。盧溝橋事件も、偶発的に始まったことが最近の研究で明らかになっています。他方、対米戦は4度の御前会議を経たのち、閣議決定して開戦しました。