小説を書く荷室は、上田さん自身の分身のようにも読めます。上田さんが小説を書き始めた理由は何だったのでしょうか。

上田:幼稚園児の頃から小説家になりたかったんです。私は4人兄弟の末っ子なのですが、家には両親や兄、姉たちが読んでいる本がたくさんありました。みんなが夢中になっている本というものを書く人になりたいと、幼心にぼんやりと思っていました。その後、姉が読んでいた村上春樹さんの『ノルウェイの森』に出会い、自分が書きたいのはこういうものだと強く感じました。

 実際に小説を書き始めるのは大学3年生の頃です。実はその少し前に小説を書こうとしたんですが、思うように書けなかった。圧倒的に読書経験が足りないと思い、半年間で200冊ほど読み漁りました。特に夏目漱石、ドストエフスキー、シェイクスピアは全作品を読みました。これは好きだからというより修業ですね。

 今でも長台詞を書くときはドストエフスキーやシェイクスピアの影響を感じます。漱石の作品には、小説のために日本語そのものを一からつくるような挑戦を感じました。小説はそこまでやっていいし、そこまでやらないといけないんだな、と。

 大学を出てから2年ほど、アルバイトなどで生計を立てながら小説執筆や文学新人賞への投稿に集中しました。小説家になる以外の道はあまり真面目に考えていませんでしたね。

 しかし25歳の頃、会社員として社会経験を積みたいと思うようになりました。作家になるのは50代でも決して遅くはないので、若いうちに世の中の大多数の人と同じ仕方で社会と関わってみたかった。それは自分の書きたい小説を実現するためにも必要なことだし、何よりそのほうがお得だという感覚でした。

それがどのようにして、IT企業の役員という現在につながったのですか。

上田:今の会社の代表は、大学生の頃のアルバイト仲間なんです。彼は学生の頃から起業に積極的で、一緒に会社を立ち上げたこともありました。25歳で社会に出ようと思ったとき彼に連絡をとってみたら、「ちょうど3社目を作るところだから一緒にやろう」と誘われました。彼が車で迎えに来て、そのまま入社しました。初めは一般社員の立場でしたが、事業を成長させていく中で役員を引き受けました。

 創業当時はIT起業ブームで、リーマンショックもライブドア事件もまだ起こっていませんでした。ビジネスの核を作ってベンチャーキャピタルなどを回れば、何千万円、何億円の資金が調達できました。すごい業界だと驚いたし、面白かった。

会社役員と小説家という二足のわらじを履いていますが、両立は可能なのでしょうか。

上田:会社を立ち上げてから5、6年間は忙しく、本格的には書けませんでした。31歳ごろから再開し、34歳で新人賞を受賞してデビューしました。今は時間的には会社の仕事が7割、小説が3割といったバランス。オーバー気味の仕事量をなんとかこなしているという状況です。

 何より大事にしているのは、あらゆる状況を周囲と共有すること。デビュー前から、小説家になるつもりだと同僚には伝えていましたし、デビュー後にも文学賞にノミネートされるたびに報告してきました。賞を頂くだけでなく逃していることも含めて知ってもらい、「一緒にやっている」という感じを作ることが重要なんです。

 以前は小説のことをあまり人には言いませんでした。しかしビジネスの現場では、事前に知らせないというのは良くない。会社に入ったことで、自分の状況を極力共有すべきだというマインドが醸成されましたね。