大学のトップである総長が旗を振ってさえも、教員たちにはなかなか理解されないものなのですね。
有馬氏: 30歳ごろに行った米アルゴンヌ国立研究所でのことは忘れられません。それまでは、東大で研究をしていましたが、月にもらえるのは1万円くらい。年収にすると15万円くらいでした。それが、アルゴンヌ国立研究所に行くと、月収で30万円ほどになりました。今から60年くらい前のことで日本はまだ敗戦国といったイメージが強かったですが、日本人の私にも差別なく対応してくれました。教員なら、授業をしっかりやっていれば、研究費はふんだんにくれるし、夏休みは好きな場所で研究ができる。欧米の大学はいかに研究しやすいかがよく分かりました。
40歳を過ぎて初めて教授になった最初の講義には、大先輩の教授が私の教室にやってきて授業の中身を聞いていました。米国では、大学教員は研究だけでなく、教える力も問われるためです。授業が終わると、先輩の教授から「講義の声は大きい方がいい」「板書の文字は分かりやすく」といったアドバイスをくれます。日本で同じことをしたら、「講義の権利がある」と反発されましたね。
日本と欧米では、教員に求められる資質も異なるのですね。
有馬氏:日本で、いくら進めても浸透しないのが「ティータイム」や「コーヒーブレーク」です。自分の専門分野だけでなく、普段なら交流のない人とも会話を交わし幅広い分野の話をします。日本人の中には、「お茶ばかり飲んで勉強せずに」という人もいますが、欧米の大学では毎日やっています。「面白いね」「そんなことがあるんだね」といろんな分野の話をするんです。広く学ぼうとする気持ちが大切だからです。
実際、ティータイムでは非常に大切な話が耳に入ってくることがあります。
あれは1960年ごろの夏。私が参加していた米アルゴンヌ国立研究所でのティーブレイクで、後にノーベル賞が授与されることになった「ビッグバン理論」に関するある話が出ていたのです。ティータイムから数年後、この理論が解明されることになります。つまり、ティータイムではそれほど重要な話が出てくるということなんです。日本の大学にティータイムが浸透しないのはとても残念です。
OISTでも、毎週木曜に学長主催のティータイムが開かれていますね。
有馬氏:欧米の大学なら、教員の部屋の真ん中にポットがあって、お茶を飲めるようになっていて、部屋に入りやすい雰囲気になっています。開放的になんでも話し合って、研究も交流しながら進める。そういう自由さが欧米にはあります。
OISTでも、学内に人が集まってお茶を飲める場所がいくつも設けられていたり、部屋の扉もすべて開いていたりします。日本では扉を閉めてひっそりやっていますけどね。

OISTは、学長をはじめ、ノーベル賞級の世界トップクラスの布陣が優秀な研究者を呼び寄せるきっかけにもなっています。
有馬氏:現学長がピーター・グルース氏になると決まったときには、本当に驚きました。グルース学長は、ドイツで80以上の研究所を傘下に持つマックス・プランク学術振興協会の会長を務めていて、「その職を退くからOISTに行きます」と言ってくれました。ドイツで、マックス・プランク学術振興協会会長というのは、大臣よりも位が高いくらいで、世界で評価される人物です。グルース氏は、OISTでは、研究者がいい仕事をしていて、世界的にもこれから伸びていく研究機関だと、大変興味を持ってくれ、夫婦で沖縄に来てくれました。
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