2019年夏に英社が発表した「質の高い論文」ランキング。日本の研究機関の中で最高の評価を受けたのは東京大学でも京都大学でもなく、沖縄科学技術大学院大学(OIST)という聞き慣れない大学だった。開学10年足らずのOISTはなぜ、世界的な評価を得るようになったのか。開学当初から関わった元東大総長の有馬朗人氏に話を聞いて見えてきたのは、既存の大学を改革する難しさだった。
3月30日号の日経ビジネスのケーススタディーで「沖縄科学技術大学院大学、独創研究で『東大超え』」を掲載しています。
有馬朗人(ありま・あきと)
物理学者。1953年東京大学理学部物理学科卒、56年東大原子核研究所助手。71年米ニューヨーク州立ストニーブルク校教授を経て75年に東大理学部教授。89年から93年まで東大総長。93年から98年まで理化学研究所理事長。98年7月の参議院議員選挙で、自民党が比例代表制選挙で擁立、当選。小渕恵三内閣発足とともに文部相。99年1月から科学技術庁長官兼務。同10月の内閣改造で退任。その後、日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長を歴任。沖縄科学技術大学院大学の創設に関わり、現在も同大学の理事を務める。1930年生まれ。
OIST構想の背景には、有馬さんの東大総長時代の経験もあったようですね。
有馬朗人氏(以下、有馬氏):今から20年くらい前、当時、私は参議院議員で、科学技術・沖縄・北方担当相だった尾身幸次さんから「沖縄に科学技術の拠点をつくりたい」と相談を受けたことがきっかけでした。もちろん、沖縄の産業を振興するためにも、研究拠点を設けることは大賛成。尾身さんには、私が東大総長時代から必要性を感じていた「国際化」を念頭に、「英語を公用語とし、教員の半分以上は外国人の新しい大学をつくりましょう」と提案しました。
英語を公用語にした大学というのは、当時は今以上に珍しかったでしょうね。
有馬氏:そうですね。尾身さんは「本当にできますかね?」と、びっくり仰天していました。私は文部大臣のときに、国立の沖縄工業高等専門学校(沖縄高専)の設立に関わったこともあって、沖縄には思い入れもありました。実は、「新しい大学」をつくるに当たっては、当初、国立大学の琉球大学を手直しする案もあったのですが、やはり一から大学をつくることにしました。
なぜ、琉球大学を手直しするのではなく、一から大学をつくることになったのですか。
有馬氏:東大総長に就任し、東大の改革を推進しようとしましたが本当に大変だったんです。学内では教授会が非常に強い力を持っていました。私の経験上、国立大学を改革するには10年はかかるだろうと。それなら、新しい大学をつくった方がよいということになりました。
私は、東大総長に就任して、「大学の国際化」を推進しようとしましたが、まったく駄目でした。教員に占める外国人の割合を増やしたり、理学部の一部の学科で外部評価委員に外国人を入れようとしたりしましたが、反発を受けました。欧米の一流大学を見ると、教員の3割は外国人なんですね。少なくとも2割を外国人にしようとしましたが、自らを守ることを重視しがちな教授たちの抵抗を受け、結局、私が総長を退くころになっても外国人の割合は数%程度にしかなりませんでした。
教員評価の体制については、自己評価をするところまでは順調に進みましたが、半分を外国人、半分を日本人にした外部委員による評価を取り入れようとしたところで「大学のオートノミー(自主精神)に反する」と反対されました。今でこそ、日本の大学も評価制度が整備されましたが、最近ではマンネリ化し、形骸化してきていることが心配です。欧米の大学やOISTでは、評価することが当たり前のこととして受け止められていますが、日本の教員は評価されることに抵抗を覚える人は多いです。
大学のトップである総長が旗を振ってさえも、教員たちにはなかなか理解されないものなのですね。
有馬氏: 30歳ごろに行った米アルゴンヌ国立研究所でのことは忘れられません。それまでは、東大で研究をしていましたが、月にもらえるのは1万円くらい。年収にすると15万円くらいでした。それが、アルゴンヌ国立研究所に行くと、月収で30万円ほどになりました。今から60年くらい前のことで日本はまだ敗戦国といったイメージが強かったですが、日本人の私にも差別なく対応してくれました。教員なら、授業をしっかりやっていれば、研究費はふんだんにくれるし、夏休みは好きな場所で研究ができる。欧米の大学はいかに研究しやすいかがよく分かりました。
40歳を過ぎて初めて教授になった最初の講義には、大先輩の教授が私の教室にやってきて授業の中身を聞いていました。米国では、大学教員は研究だけでなく、教える力も問われるためです。授業が終わると、先輩の教授から「講義の声は大きい方がいい」「板書の文字は分かりやすく」といったアドバイスをくれます。日本で同じことをしたら、「講義の権利がある」と反発されましたね。
日本と欧米では、教員に求められる資質も異なるのですね。
有馬氏:日本で、いくら進めても浸透しないのが「ティータイム」や「コーヒーブレーク」です。自分の専門分野だけでなく、普段なら交流のない人とも会話を交わし幅広い分野の話をします。日本人の中には、「お茶ばかり飲んで勉強せずに」という人もいますが、欧米の大学では毎日やっています。「面白いね」「そんなことがあるんだね」といろんな分野の話をするんです。広く学ぼうとする気持ちが大切だからです。
実際、ティータイムでは非常に大切な話が耳に入ってくることがあります。
あれは1960年ごろの夏。私が参加していた米アルゴンヌ国立研究所でのティーブレイクで、後にノーベル賞が授与されることになった「ビッグバン理論」に関するある話が出ていたのです。ティータイムから数年後、この理論が解明されることになります。つまり、ティータイムではそれほど重要な話が出てくるということなんです。日本の大学にティータイムが浸透しないのはとても残念です。
OISTでも、毎週木曜に学長主催のティータイムが開かれていますね。
有馬氏:欧米の大学なら、教員の部屋の真ん中にポットがあって、お茶を飲めるようになっていて、部屋に入りやすい雰囲気になっています。開放的になんでも話し合って、研究も交流しながら進める。そういう自由さが欧米にはあります。
OISTでも、学内に人が集まってお茶を飲める場所がいくつも設けられていたり、部屋の扉もすべて開いていたりします。日本では扉を閉めてひっそりやっていますけどね。
OISTでは、欧米の一流大学のように毎週「ティータイム」が開かれている
OISTは、学長をはじめ、ノーベル賞級の世界トップクラスの布陣が優秀な研究者を呼び寄せるきっかけにもなっています。
有馬氏:現学長がピーター・グルース氏になると決まったときには、本当に驚きました。グルース学長は、ドイツで80以上の研究所を傘下に持つマックス・プランク学術振興協会の会長を務めていて、「その職を退くからOISTに行きます」と言ってくれました。ドイツで、マックス・プランク学術振興協会会長というのは、大臣よりも位が高いくらいで、世界で評価される人物です。グルース氏は、OISTでは、研究者がいい仕事をしていて、世界的にもこれから伸びていく研究機関だと、大変興味を持ってくれ、夫婦で沖縄に来てくれました。
優秀な人材が世界から集まり、成果も徐々に出てきています。日本国内では知名度の低さが課題かもしれません。
有馬氏:ネイチャー・インデックスのランキングで上位に入って、OISTの存在を改めて知った人も多いでしょう。これからは、東大や京大といった日本の国立大学の学生にもっとOISTに来てほしい。OISTが最終的に目指す規模は、教員数にして300人です。規模は大き過ぎても駄目です。東大ではひとつの学部だけで大学ができてしまうほど規模が大きい。互いに顔と名前が分かる範囲で協力して研究を進められるとなると、300人くらいが理想です。OISTが目指すのは少数精鋭の研究機関です。
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