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 「水素社会」という言葉が世に出てしばらく経つ。東京五輪が開催されるはずだった今年は、世界に向かって日本が「一足お先に脱炭素・水素エネルギー社会に移行します」とアピールするはずの年だった。しかし、普通に暮らしているとなかなかその足音は聞こえてこない……。と思っていませんか。実は自分もそうでした。ところが、日本企業は地道に技術を固めていたのです。

(水素エネルギー関連のマクロな課題については、「日経ビジネス」2020年4月6日号のスペシャルリポートにも掲載しています)

長井雅史・千代田化工建設フロンティアビジネス本部水素チェーン事業推進部長(以下、長井):よろしくお願いします。私どもの水素の技術について、もうある程度ご存じなのでしょうか。

いや、すみません。もうド素人でありますので、ゼロベースでよろしくお願いいたします。

長井:それでは、簡単に。私どもの技術は「水素を貯蔵して長距離を輸送する」ためのものです。もちろん水素の長距離輸送は昔からある技術なのですが、いろいろ種類がありまして。

トヨタの水素燃料電池自動車「MIRAI」が発表されたころ、日経ビジネスでも「水素社会」を特集していました(こちらなど)。常温・常圧では気体の水素を、極低温に冷やして液化して体積を減らし、特殊なタンクローリーで運ぶんですよね? LNG(液化天然ガス)みたいに。

長井:はい。そちらは川崎重工さんが中心になって取り組んでいます。お話の中のLNGはマイナス162度に冷却することで、気体の1/600の体積にするのですが、水素の場合はさらに低く、マイナス253度にして1/800に圧縮して運びます。

実は取材前に泥縄で調べたのですが、ちょうど昨年末に初の水素運搬船が進水しているのですね(参考:「世界初、液化水素運搬船『すいそ ふろんてぃあ』が進水」)。

長井:そうですね。そして、水素の運搬方法はこれだけではないのです。その一つが私どもがやっていますメチルシクロヘキサンを使う、「SPERA(スペラ)水素システム」です。

めちるしくろへきさん、とは何でしょう。

長井:塗料の溶剤などに使う、トルエンはご存じですよね。常温では液体のトルエンに、気体の水素を化学反応させると「メチルシクロヘキサン(以下MCH)」という液体になるんです。そして、逆に水素とトルエンに分離することもできる。

水素を液体とくっつけたり、分けたりする技術、ということですね?

長井:そうです。有機ケミカルハイドライド法(ハイドライド=hydride、水素化)と呼ばれる手法です。

出所:千代田化工建設(以下、千代田化工)

水素とトルエンがくっついた状態、つまりMCHは常温で保管できるのですか。

長井:その通りです。化学反応を起こす際は高温(MCHにする際は250~300度、分離する際は350~400度)になりますが、MCHの状態ならば常温・常圧で大丈夫です。

容積の圧縮率はどのくらいですか。

長井:同じ量の気体の水素と比べると、約500分の1に圧縮されます。

圧縮率は冷却して液化して保管する方法より落ちるけれど、こちらは常温でいい。

長井:はい、常温・常圧で安定して貯蔵、そして輸送できるわけです。このMCHを、我々は「SPERA水素」と呼び、これを使った安全な水素エネルギーのインフラシステムを開発しています。

普通のコンテナで水素を輸送できる

ということは、水素を運ぶための専用船や専用のタンクローリーが要らないんですか?

長井:そうですね。実は2019年にすでにブルネイ・ダルサラーム国からの輸送が行われています。ブルネイ側でLNGプラントのプロセスガスから水素を取り出して、水素化プラントを造ってMCHを生成し、通常のISOタンク(編注:コンテナの標準的なサイズに合わせた外形を持つ液体輸送用のタンク)に入れまして、コンテナ船で運んできました。

普通のコンテナ船で、ですか。

長井:はい、一般のコンテナと混載して。

へえ……。現状の輸送能力はどのくらいになるのでしょうか。

長井:ブルネイ側の水素化プラントとこの運搬方式では、設備規模210トン/年です。これはMIRAIの燃料タンクにして約4万台分相当ですね。

出所:AHEAD、千代田化工

運んできたMCHは、日本のどこで水素に戻すのですか。

長井:川崎に脱水素プラントがありまして、こちらはこの4月に稼働します。それを待ってブルネイと川崎をつなぐこの水素サプライチェーンを今年の年末まで、実証実験で動かす予定です。運んできた水素は、隣接する東亜石油さんの発電所で混焼していただきます。