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 約30年にわたって日本の国債市場に関わった債券アナリストが、現在の経済学の在り方に疑問を呈する著書で話題を呼んだ。日銀を含め、世界の金融政策は非伝統的なものに傾斜してきたが、理論を提供した経済学者からその結果についての声が聞かれないと批判。経済学の「たこつぼ」化に警鐘を鳴らし、学際的なアプローチを広げるべきだと提言する。

森田さんは昨年、『経済学はどのように世界を歪めたのか 経済ポピュリズムの時代』(ダイヤモンド社)という刺激的なタイトルの書籍をまとめられました。その中で、政策への関与の度合いが高まっていく経済学者の「社会的責任」について厳しく指摘しています。経済学者にとってあまり愉快ではない記述もありますから、かなり反発があったのではないですか。

森田長太郎・SMBC日興証券チーフ金利ストラテジスト(以下、森田):実は経済学者の方からのリアクションはあまりないですね。逆に気持ち悪いぐらい。どういう理由なのかは分かりませんが、おそらく彼らがやっている経済学とはちょっと違う角度からアプローチしているので、答えようがないということなのかもしれません。まあ、意図的に無視をしている方もいるかもしれませんが。

森田 長太郎(もりた・ちょうたろう)氏
慶応義塾大学経済学部卒業。日興リサーチセンター、日興ソロモン・スミス・バーニー証券、ドイツ証券、バークレイズ証券を経て2013年8月から現職。17~19年の日経ヴェリタス債券アナリストランキングでは第1位を獲得している。(写真:陶山勉、以下同)

そもそもなぜこうした内容のものを書いたのでしょう。

森田:私は債券のアナリストをやってきましたので、金利分析の一番根幹にある金融政策を30年近く見てきました。その中で「本当にこんなところまできてしまったのか」と思うくらい、いわゆるオーソドックスな姿からすると、金融政策が相当極端な状況になってきました。

 特にこの10年、15年くらいは、マクロ経済学者が金融政策の理論をいろいろ考案して、実際の政策がそれに基づいて行われるようになっています。経済学の理論が直接影響する程度が非常に強まったという認識を持ってきたわけです。いわゆる政策と称してやってきたものが、実際には市場へのある種の介入のようなものであり、単に金融市場という閉じた世界での議論にはとどまらなくなっている。そこを俯瞰(ふかん)してみようと思いました。

日本銀行本店(写真:PIXTA)

役立つとは、将来を正確に予測できること

市場参加者らいわゆる実務家の市場の分析は、経済学者の分析より先行していたとおっしゃっています。学問としての理論は必ずしもすぐにビジネスに直結するものではないとの考え方もあると思います。その立場であれば、実務家が先行するというのはそれは当然なのかもしれません。一方で経済学というのは、あるときは社会科学の顔をして、あるときは自然科学みたいな顔をして、政策への関与の度合いを増していきました。経済学とはどういう学問だとお考えでしょうか。

森田:自然科学の分野でも、基礎研究や応用研究がどうあるべきかという議論は常にあるわけです。最終的に役に立たないものは結果的には意味のない基礎研究だったかというと、そうだという人とそうではないという人がいる。

 経済学でも役に立ったかどうかより、「自分が好きだから」と基礎研究のようなことをやっている人もいるわけですね。それは自然科学と同じなんですが、一方で、経済学の場合、基礎研究をやっているんだと言いながら、役に立つという結論に常に結び付けようという意図を持ってやっている人もいると思うんですね。そこが、都合のいい結論に結び付かないものはどうやっても結び付かない自然科学とは違う部分なのだろうと思います。

 経済において理論が役に立つとはどういうことかというと、要は将来を正確に予測できることではないか。もしそう考えるのが大前提だとすれば、予測できないのに、「こうやればこうなる」という理論は政策として採用されるべきではありません。本来、予測の正確性がものすごく厳密に求められるわけですよね。

 「社会科学的な側面を持ったものなので再現可能性がない。だから予測は正確にできません」というのであれば、それを意図的に実際に役立つようなふりをするやり方自体はかなり問題なのではないかという感じはしますね。

 もちろん、結果的に役に立ったものもあります。例えば過去の大恐慌の研究などは実際、役立ったといえるでしょう。リーマン・ショックの後に大規模な金融政策を発動したのは1つの研究成果であるとすれば役に立ったこともあるわけです。ただ、基本的には予測が難しいということは、役に立たない可能性の方がむしろ本質的には高いんだと思うんです。我々も予測をしながら業務をやっていますが、予測は簡単には当たらないと思ってやっています。