若くして伝統ある大組織のリーダーに任命されたら、果たして適切な運営ができるだろうか。経営と野球。フィールドは違えど、42歳で創業120年を超えるアース製薬の社長に就任した川端克宜氏と、40歳で読売巨人軍監督を経験した高橋由伸氏には相通じる苦労があった。若手が組織を動かすために必要な心構えとは何かを、これまでの経験から語ってもらった。

アース製薬の川端克宜社長CEO(左)と読売巨人軍の高橋由伸元監督(写真:都築雅人、以下同)
アース製薬の川端克宜社長CEO(左)と読売巨人軍の高橋由伸元監督(写真:都築雅人、以下同)

お二人とも40代前半に伝統あるチーム、会社のリーダーに任命された経験をお持ちです。強い組織をつくるためのリーダーシップについてお話をお聞かせください。まず高橋さんから、読売ジャイアンツでの監督を任されたとき、当初はどんなお気持ちでしたか。

高橋由伸・元読売巨人軍監督(以下、高橋氏):ジャイアンツの監督は良い経験になりました。実際にやってみて、打ちのめされましたけど(笑)。私は子供のころからの野球人生で、家族や友人など「誰かの期待に応えたい」という気持ちを強く持っていました。ですから、ジャイアンツから監督の役割を期待されたのは光栄でした。

<span class="fontBold">高橋由伸(たかはし・よしのぶ)氏</span><br>1975年、千葉県生まれ。神奈川・桐蔭学園高校で1年生の夏と2年生の春に甲子園出場。慶応義塾大学では3年生の春に三冠王、さらに通算23本塁打の東京六大学記録を樹立。97年にドラフト1位で巨人軍に入団。新人年から開幕スタメンデビューを飾る。巨人軍では長嶋茂雄氏以来となる新人打率3割をマーク。以降は中心選手としてチームをけん引した。2004年にはアテネ五輪に出場し銅メダル獲得に貢献。15年に現役引退と同時に、読売巨人軍第18代監督に就任。現在は読売巨人軍球団特別顧問、野球解説者を務める
高橋由伸(たかはし・よしのぶ)氏
1975年、千葉県生まれ。神奈川・桐蔭学園高校で1年生の夏と2年生の春に甲子園出場。慶応義塾大学では3年生の春に三冠王、さらに通算23本塁打の東京六大学記録を樹立。97年にドラフト1位で巨人軍に入団。新人年から開幕スタメンデビューを飾る。巨人軍では長嶋茂雄氏以来となる新人打率3割をマーク。以降は中心選手としてチームをけん引した。2004年にはアテネ五輪に出場し銅メダル獲得に貢献。15年に現役引退と同時に、読売巨人軍第18代監督に就任。現在は読売巨人軍球団特別顧問、野球解説者を務める

 自分が残してきた成果の証明でもあるので、監督を打診されたときには「引き受けるべきだ」と即決しました。ただ、経験して分かったことは、「選手と監督はあまりにも違う」ということです。同じグラウンドで戦っていた選手時代とは立場が違い過ぎて、想像もつかなかったような苦労がありました。

 監督への就任を、自分の目標として意識し始めたのは、20代後半から30代前半にかけてのことです。1年先輩にあたる松井秀喜さんが米国のメジャーリーグに挑戦されたころからでしょうか。その前に、どのような形で選手生活に区切りを付けるべきかが大切でした。30代半ばから後半にかけては引き際を考えながら現役生活を続けていたように思います。

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