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パワーハラスメント(パワハラ)防止を初めて企業に義務付ける法律が2020年6月に施行される。厚生労働省は企業が予防・対応するための措置を明示した指針を、19年12月23日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)で正式決定した。法改正の意義と注目ポイントを、ハラスメント問題に詳しい労働政策研究・研修機構の内藤忍副主任研究員に聞いた。

内藤忍(ないとう・しの)氏
独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)副主任研究員。専門は労働法。2006年早稲田大学大学院博士後期課程で単位取得、JILPTへ。厚生労働省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ」委員、同「職場のパワーハラスメントに関する実態調査検討委員会」委員、同「ハラスメント対策企画委員会」座長など(写真:木村輝)

パワハラについての議論が盛んになっています。一連の法改正の動きをどう見ていますか。

内藤忍氏(以下、内藤氏):全国の労働局に寄せられる「いじめ・嫌がらせ」に関する相談件数は、2017年度には約7万2000件、18年度には約8万3000件と増え続けています。しかし、これまで職場のパワハラに関する法規制は無く、対応は企業の自主性に任されてきました。セクハラ、妊娠・出産・育児休業・介護休業等に関するハラスメントとともに、パワハラを「行ってはならないこと」と明記し、相談窓口の設置などの予防・対応策を事業主に義務付けたことは一歩前進と考えています。

 ただ残念なのは、「禁止規定」ではなく、事業主に防止策を求める「措置義務」にとどまった点です。職場のあらゆるハラスメント禁止の法整備を加盟国に求め、日本も採択を支持した国際労働機関(ILO)の19年の「仕事の世界における暴力とハラスメントの撤廃に関する条約」の水準との乖離(かいり)が生じてしまいました。

厚生労働省の指針は、素案段階から「パワハラの定義が狭い」「該当しない例が不適当」と批判の声が労働組合や弁護士団体から上がりました。

内藤氏:指針には、定義の他に、裁判例を参考にした「パワハラに該当すると考えられる例・しないと考えられる例」も盛り込まれました。裁判で争われる言動はひどいものが多く、また、違法行為であると裁判所が認定した言動は、事業主が予防・対応すべき範囲よりかなり限定されたものです。裁判例を参考にして作られた言動の例が現場で使われるとすれば、日本労働弁護団がいうように「使用者の弁解カタログ」となってしまって、当該事案の解決にもハラスメントの予防にもつながらないのではないかと私は危惧しています。それは、そもそもの措置義務の目的を損なうものであり、本末転倒です。

 措置義務の中には、「相談事案の事実関係の確認」や「パワハラが認められた場合の行為者への処分等の措置の実施」の項目もありますから、担当者にとって何がパワハラかを気にしなければならない場面はもちろんあります。しかし、高い水準の社内ポリシーを持っている企業ではパワハラの認定の基準も異なるでしょう。指針の「該当する例・しない例」は普遍的にどの企業でも参考になるというものではありません。

 そして最も重要な点は、予防の観点から幅広い言動を措置の対象として捉える必要があるということです。人事担当者などの実務者の多くは、従業員自身が受けた言動を「ハラスメント」と確信しなくても、早く相談にきてほしいと考えています。トラブルの初期段階で相談を受ければ、休職や退職に追い込まれずに対処できることが多く、複雑な事実の確認にかかる時間コストも回避できるからです。そもそも措置義務規定である、労働施策総合推進法30条の2は、予防をしたり、相談があった場合には、実際にハラスメントであるか否かにかかわらず、早期に対処したりすることを事業主の義務とすることを柱とする規定であり、違法なパワハラの判断基準を示すものではありません。「該当する例・しない例」の指針への導入は、措置の対象を狭く解することにつながる危険性があり、導入されてしまった以上、誤解を招かないよう十分な周知が必要だと思います。