
ホンダの二輪車の世界生産が累計4億台に達した。創業直後の1949年に量産を始めたホンダの原点ともいえる二輪。足元では毎年、世界で2000万台を販売し、売上高営業利益率でみても、2019年4~9月期実績で14%と全社の収益を支える「盤石」の存在といえる。しかし、東南アジアなど成長をけん引してきた市場には「飽和」の影が忍び寄る。インドをはじめとする南西アジアやアフリカなどさらなるフロンティアの開拓が世界シェアトップを維持する条件といえる。
記者が11月半ばに訪れたインドネシアの現地合弁、アストラ・ホンダ・モーターのAT(自動変速機)スクーター工場。年間110万台の生産規模を誇る同工場では、22秒に1台のペースで新しい二輪車を生産していく。生産ラインに並んだ作業者はテキパキと組み立てラインで部品を組み付けていた。半分ほどの従業員がアルバイトで、工場の人員は「2年で丸々入れ替わる」(アストラ・ホンダの井沼俊之社長)。熟練工がいるわけではない。しかし、機種を限定し、大量生産に特化したラインから次から次へと二輪車が押し出されてくる。
インドネシアでのホンダの二輪車のシェアは約75%に達する。07年には5割ほどだったが、通勤、通学の足として使い勝手のよいATスクーターでヤマハ発動機に先行したことから一気にシェアを伸ばした。今ではホンダ全体でみても、19年3月期実績で516万台とインド(588万台)に次ぐ生産規模を誇る。
インドネシアのアストラ・ホンダは日本の熊本製作所でしか手掛けてこなかったスポーツバイクの生産にも乗り出すなど、東南アジア全体のマザー工場的な役割をも担っている。井沼社長は「500万台の事業規模があるから、新しいことにも挑戦できる」とアストラ・ホンダが負う役割について語る。しかし、インドネシアはホンダにとって「成長を遂げ、成熟しつつある市場」(二輪事業本部長の安部典明常務執行役員)となりつつあるのは確かだ。
1人当たりのGDP(国内総生産)でみてもインドネシアは四輪車が普及し出す目安とされる3000ドルを突破。慢性的な交通渋滞に悩まされるインドネシアの首都ジャカルタなどでは小回りの利く二輪車の方が使い勝手がいいという事情はあるにせよ、二輪から四輪にシフトする流れも避けられない。
人々に便利で廉価な移動体を提供してきたホンダの歴史を振り返れば、二輪事業の目線はさらなる新興国に向かうことになる。インドではかつて合弁会社で手を携えたヒーロー・グループなどと真っ向勝負している。排ガス規制の強化といった追い風を生かしてシェアを伸ばすほか、中国やインドでの低コスト生産のノウハウを生かしてアフリカ専用機種を投入するなどの戦略にも出ているが、販売台数への貢献はこれからだ。
これらの市場には中国やインドの現地メーカーも攻め込んでくることになる。こうした「新興国勢のコストやスピードに対抗するため」(安部常務)にも、本田技術研究所の二輪部門をホンダ本体に統合し、開発から生産、営業、販売までを一気通貫でできる体制を19年度から整えた。こうした体制を反映したモデルは「来期以降出てくる」(同)。
変化の激しい自動車業界の中、ホンダがどのグループの傘下にも入ることなく生き続けられたのは収益力の高い二輪事業を持っていたからともいえる。その二輪の強さを維持し続けられるか。インドやアフリカといったフロンティアでこれから本格化する勝負の持つ意味は相当に重いといえる。
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