全3026文字

 セレクトショップ大手のビームス(東京・渋谷)が12月5日、渋谷駅近くの新商業施設「渋谷フクラス」内に開業する「東急プラザ渋谷」のテナントとして「ビームスジャパン 渋谷」を出店する。

 「ビームスジャパン」は同社が2016年に始めた新業態。「日本」をテーマに国内アパレルブランドの商品を取りそろえるほか、伝統工芸品や日用品、食品なども販売する。47都道府県の名産品を集め、各地のメーカーと共同で同店オリジナルの商品を開発するなど、衣料品店というより「土産物店」の色彩が強い業態だ。これまでは新宿の旗艦店1店のみだったが、今回の渋谷に加え、来年春には京都市内にも開店する。

 1976年に創業し、海外のカジュアル衣料や家具などを日本の若者向けに紹介してきたビームス。百貨店アパレルに代表される中間価格帯の衣料品市場が縮小し、低価格帯のファストファッションでも競争が激化する中、同社は順調に売上高・店舗数を伸ばしている。好調のセレクトショップが、なぜ「土産物店」を拡大するのか。セレクトショップという業態は今後も成長できるのか。設楽洋社長に聞いた。

「ビームスジャパン」は伝統工芸品店やデザイン小物店のような業態ですが、出版物などを通じて若者向けのポップカルチャーも発信しています。なぜこうした店を広げているのでしょうか。

設楽洋・ビームス社長(以下、設楽氏):ビームスは創業以来40年、海外の良いモノを紹介してきました。今後は日本の良いモノ、良いコトを紹介したい。バイヤーと一緒に海外に行くと、日本の製品が意外なほど高い評価を受けていることがあります。「灯台もと暗し」で、我々は日本のモノの価値を十分に知らないのではないかと。新宿店には海外からの観光客も多く訪れていますが、インバウンド需要を狙って始めたわけではありません。

設楽洋氏 ビームス社長。1951年生まれ。慶応義塾大学を卒業後、電通入社。76年に家業の新光紙器(現新光)の新事業として「アメリカンライフショップ・ビームス」を開始。82年にビームスを設立し88年に社長就任。2011年にビームスホールディングス社長

 従来、工芸品は百貨店の催事などで扱われてきました。一方でポップカルチャーやオタク文化は秋葉原や中野、池袋などがその中心です。両方を扱っている場所がないじゃないか、と考えたのです。コンセプトは「匠からオタクまで」です。

 インポートブランドに興味を持って入社してくる社員が大半なので、社内でも当初は賛否両論でした。しかし日本の民芸品などを少しずつ扱うようになると、そうした社員も関心を持ち、次第に自分でも日常使いするようになってきました。近くにいる社員のそんな変化の過程を見ているうちに、日本をテーマにした業態によって新しい(和洋)折衷文化を生み出せるのではないかと考えるようになりました。

新宿の「ビームスジャパン」の客層や主力商品は、通常のビームスの店舗と比べてどう異なるのでしょうか。

設楽氏:ファッション好きの人以外も来店しています。服にはそこまで関心はないが、珍しいものが好きで、新しい発想を求めている人々です。新宿は観光客も多く、日本に住む海外出身の方の来店も多い。

 衣料品のビームスが手がける店なので、やはり最初に火がついたのは国産アパレルブランドとのコラボ商品などでした。しかし工芸品にも隠れたヒットがいくつも生まれました。例えば、招き猫などの縁起物はインテリア小物として人気が高い。愛知県のメーカーと共同で、招き猫に続いて「まねき金しゃち」も開発しました。

 大分の別府からお湯を運んで店内に足湯を作るイベントなど、商品を売るだけでなく文化的な体験を提供する業態として育てています。いつまでに何店舗出店するという目標は今のところありません。新宿を本丸として、渋谷店や京都店のように小さなサテライト店舗を出店したり、地方の商業施設などにポップアップストア(期間限定型の店舗)を出したりといった形で広げる計画です。

日本の工芸品や日用品の販売では、中川政七商店(奈良市)やD&Department(東京・世田谷)が先行して店を広げています。他社との違いはどこにあると考えていますか。

設楽氏:スタッフが実生活で工芸品などを使い、そこから出てくる発想を企画に取り込む姿勢が違いです。これまでに生まれた地方自治体や地方メーカーとの結びつきを生かして、新商品やイベントを積極的に提案していきます。その結果、ビームスは「店持ち小売り」であるセレクトショップの枠を飛び出し、「オペレーション(実施)機能を持った企画集団」になっていくと考えています。