(写真:つのだよしお/アフロ)
(写真:つのだよしお/アフロ)

 安倍晋三首相の通算在任日数が11月20日で戦前の桂太郎を抜き、憲政史上最長となった。第1次政権が1年で幕を閉じたにもかかわらず、2012年12月の政権復帰から実に7年近くも政権を継続している。

 12年の衆院選から国政選挙で6連勝を果たし、時の政権にとって「鬼門」とされてきた消費税率の引き上げも2度にわたって実行した。

 「短命に終わった第1次政権の深い反省の上に、政治を安定させるために日々全力を尽くしてきた。約束した政策を実現するために努力を重ねてきた。その積み重ねによって今日を迎えることができた」。20日午前、安倍首相は記者団に感慨深げにこう語った。

 大胆な金融緩和と財政出動を軸とする経済政策「アベノミクス」の推進、首相官邸主導の確立、若年層への支持基盤拡大……。「安倍1強」と称される状況を維持してきた背景として様々な要因が語られるが、平成時代に進んだ政治改革をシステムとして機能させたこと、さらに「多弱野党」が結果的に安倍首相をアシストしてきたことも大きな要因となっている。

 「やるべきことを明確に掲げて政治主導で政策に取り組んできた」。菅義偉官房長官は19日の会見で、官邸主導の政策の推進が着実な成果につながっていると強調した。

 すっかり安倍政権の代名詞になった感がある官邸主導。それは第2次政権の発足を機ににわかに確立されたものではない。

 「政治とカネ」問題の温床である中選挙区制度を見直し、政策で競い合う2大政党制を確立する──。こうした目標を合言葉に、平成初期に大きなうねりとなった「政治改革」。大激論を経て、1994年の衆院への小選挙区比例代表並立制導入や政治資金規正制度改革、さらに官邸機能強化策と中央省庁再編などが実施された。

 公認権や政党助成金の配分権を握った首相(自民党総裁)の求心力が次第に拡大する一方、派閥や族議員の影響力はそがれていく。そうした政治状況を背景に、初めて官邸主導の政権運営を実現したと評されたのが小泉純一郎元首相だった。

 再登板後の安倍首相は省庁の縦割りを排除し、政治主導の意思決定を進めるとして、内閣官房に2つの組織を新設した。外交・安全保障政策の司令塔となる「国家安全保障局」と、中央省庁の幹部人事を一元的に管理する「内閣人事局」がそれだ。指揮系統が混乱した第1次政権の反省から、官邸が霞が関を掌握し、迅速に意思決定できる体制を一段と強化したのだ。

 一連の政治改革論議に携わってきた日本大学の岩井奉信教授は「小泉さんは国民的人気を背景にした属人的要素が強かった。再登板した安倍さんは小選挙区制度と官邸主導に向けた改革をシステムとしてうまく機能させている。安倍1強は一連の政治改革の完成形と言える」と指摘する。

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