1989年6月に起きた「天安門事件」で、当時、中国共産党の実権を握っていた鄧小平氏の下で、民主化運動への武力弾圧を主導したことで知られる李鵬元首相が7月22日に死去した。李氏は1988年から10年間首相を務め、全国人民代表大会委員長などを歴任した。

李鵬元首相(写真:ロイター/アフロ)
李鵬元首相(写真:ロイター/アフロ)

 首相を10年間務めた共産党の重鎮である李氏は、様々な意味で中国の政治体制を象徴する存在だった。

 中国国営の新華社通信は、追悼記事において「断固とした措置で動乱を止め、反革命暴乱を鎮めた」と李氏の「功績」をたたえている。中国共産党は天安門事件を国民の記憶から消し去ろうとしており、新華社の記事にも「反革命的暴乱」について具体的には書かれていないが、当時を知る人が読めば天安門事件のことを指していることは明らかだ。

 李氏はもともと電力関連のテクノクラート(技術官僚)で、世界最大の「三峡ダム」の建設を推し進めた。息子と娘も電力畑を歩んで国有企業の幹部や大臣に就いており、政財界で特権的地位を占める共産党幹部の子弟「太子党」の代表格とされる。その一方で習近平指導部が反腐敗運動を進める中で、一族が不正蓄財しているのではとやり玉に挙げられたこともあった。

 天安門事件から30年たった今、民主化の動きは中国本土ではすっかり下火となり、中国共産党は経済成長によって民衆の不満を抑え込むことに成功した。李氏は経済の自由化には慎重だったとされるものの、国民に民主化への諦念を植えつけたという意味では、共産党にとっての「功労者」だったことは間違いない。

 だが、李氏が残した強権的な支配手法は今、思わぬ反作用を生んでいる。舞台は中国に属しつつ高度な自治を認められる「一国二制度」が運用されている香港だ。中国本土への犯罪容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正案への抗議デモが、ここにきて一気に民主化運動の色彩を濃くしている。

 7月21日、200万人(主催者発表)が集まった香港史上最大のデモを主催した民間人権陣線(民陣)が改めてデモを実施し、43万人(同)が集まった。この日に掲げた「五大訴求」は逃亡犯条例改正案の撤回や林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の退任など従来の要求に「真の普通選挙の実施」が加わっていた。

 香港では選挙の立候補者を限定するなどして、親中派しか政権を取れない仕組みとしている。言論の自由はあるが政治の自由はない中で、香港人の民意を示す限られた手段がデモだ。だが、林鄭氏はいつまでたっても逃亡犯条例改正案の撤回も辞任もせず、市民の反感は増すばかりだ。そのいら立ちが若者の一部を立法会の占拠や、中国の国章を黒塗りにするなどの過激な示威行動に駆り立てている。