高島屋は6月25日、中国から撤退すると発表した。子会社の上海高島屋百貨を8月25日に清算し、同社が運営する上海市内の店舗を同日に閉店する。

上海高島屋の運営は当初から誤算続きだった。
開業は2012年12月。その3カ月前の12年9月、日本政府は尖閣諸島の国有化に踏み切った。中国では反日デモが起こり、中国国内の対日感情は最悪と言える状況に陥った。そのため、開業時に大々的なキャンペーンを打つことができず、スタートダッシュに失敗した。高島屋の村田善郎社長は「静かにオープンせざるを得ず、計画を下方修正することになった」と振り返る。上海高島屋は日本人が多く住むエリアに立地しているが、日中関係の悪化もあって帰国する日本人駐在員の家族が増えたことも痛手となった。
店舗の隣にある土地の開発がなかなか進まなかったことも高島屋にとっては誤算だった。当初は隣にも商業施設ができる計画で、上海高島屋と一体でにぎわいを生み、人を集める算段だった。だが、ようやく動き出した開発計画では「商業施設ではなく、オフィスビルになってしまった」(村田社長)。
想定した売り上げを上げることができないうえ、家賃の負担も重く、14年2月期以降、10億円単位の営業赤字が続いてきた。17年2月期と19年2月期に赤字額は10億円を切ったものの、これまでも撤退するのではとの声は出ていた。だが、高島屋はシンガポールでの成功を例に挙げ、長い目で育てていくとしてきた。
今回、撤退に踏み切ったのは大家との家賃減額交渉が成立しなかったことが直接の引き金だ。さらに前述の周辺の開発の遅れと変更、米中貿易摩擦による経済の停滞、個人消費の落ち込みで黒字化のメドが立たなくなったという。
加えて、IT企業による小売りや外食分野への進出の影響も見逃せない。上海高島屋で常に人が多かったのが、地下の食料品売り場と最上階のレストランフロアだった。中国の商業施設の衣料品・雑貨の売り場や店舗は、上海高島屋に限らず、閑散としているところが多い。そのため日本の商業施設と比べて飲食店の比率が高い。
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