「安全」な場ではなくなる恐れ

 既報の通り、今回のデモ隊の要求は、容疑者の身柄を中国本土などへ移送できるようにする「逃亡犯条例」の改正を食い止めることにある。

 香港人の脳裏をよぎるのは、2015年に発生した書店員失踪事件だろう(関連記事:香港銅鑼湾書店「失踪事件」の暗澹)。中国政府を批判する書籍を多数そろえていた香港の書店の関係者が突然、失踪したという事件だ。失踪者たちはやがて戻ったが、そのうちの1人が中国当局による拘束と捜査だったことを告発して注目を集めた(関連記事:銅鑼湾書店事件、「ノーと言える香港人」の告発)。

 言論の自由が守られている香港であれば、中国政府に対する批判も安全にできる――。「一国二制度」の壁を越えて、法的手続きを経ずに中国当局の力が及び、その「前提」がねじ伏せられたことに衝撃を受けた香港人は多かった。

 「逃亡犯条例」は政治犯を対象としていないと香港政府は言う。だが、上記失踪事件をはじめとする中国当局の強面(こわもて)を知る香港人は額面通りには受け取っていない。デモに参加した男性は「たとえ無罪でも、別件で逮捕され、取り調べのためにと移送されるだけで大きなダメージになる。香港が、それを恐れて口をつぐむような場所になってしまえば、国際都市としての地位は明らかに下がる」と懸念を示す。

 2003年にも、香港は「いまあるものが失われようとしていた」ことがある。香港基本法23条には「香港特別行政区は国家分裂や反逆、国家機密を盗み取るなどの行為を禁じる法律を自ら作る」という一文がある。この条文に基づいた条例を、香港政府は2003年に成立させようとしたのだ。もし成立していれば、中国政府に対する批判が法的に禁じられる事態になっていた。

 今回の「逃亡犯条例」改正案は、この条例に近い効果を、香港社会に実質的に及ぼすものと言っていい。2003年条例は香港市民の猛反発に遭い、撤回を余儀なくされた。だが、2003年当時といまとでは、中国政府の力、香港の国際的な地位ともに大きく異なる。中国政府と、その意向を受けた香港政府が今回は強行するという可能性は小さくない。

 「ないもの」に手を伸ばそうとした雨傘革命と、「あるもの」を失うまいとする今回のデモ。後者は、勝っても新たに得るものはなく、負ければ引き返せない一線を越える。前者と比べて多くの世代や企業が声を上げたところに、香港社会の必死さが浮かぶ。

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