2024年上半期をめどに千円、5千円、1万円の紙幣(日本銀行券)が一新される。千円、5千円札は20年ぶり、1万円札は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来、40年ぶりの人物の刷新だ。政府はこれまでも20年ごとに偽造防止の観点から紙幣刷新を実施してきたが、今回は元号が「平成」から「令和」となるタイミングでの発表となった。
ちなみに04年の刷新時は、02年8月に発表、04年11月に流通開始だった。前回は発表から流通までの期間が約2年だったのに対し、今回は4年以上間が空いている。野村証券の美和卓・チーフエコノミストは「発表からやや長めの間隔での刷新に至る背景として、改元と発表時期をそろえる意向があったと推測できる」と話す。改元機運を盛り上げようとする政府の意図は少なからずあるようだ。もっとも、麻生太郎・財務相は9日午前に開かれた会見で1日の新元号発表に続く紙幣刷新発表を「たまたま重なっただけ」と説明する。
あまり知られない渋沢栄一の功績
紙幣の図柄に選ばれる人物は04年同様、明治時代の文化人から選ばれている。財務省ウェブサイトのQ&Aページには「紙幣は老若男女が使うものであることから、図柄は一般的に良く知られている人物を採用」「一般的にも、国際的にも知名度が高い」等々、一定の基準があることが分かる。
だが今回、新1万円札の図柄になった渋沢栄一について正直、あまり知らないという人も多いのではないのだろうか。
渋沢栄一は、明治から昭和の初めにかけて、日本の産業界をリードした実業家だ。第一国立銀行(現みずほ銀行)や、王子製紙(現王子ホールディングス)、東京海上保険(現東京海上日動火災)、帝国ホテルなど、多くの企業の設立に関わった。その数は500にも上り「近代日本資本主義の父」と呼ばれている。
あまりにも彼が関わった事業が多すぎるがゆえに、どのような功績を挙げた人物か一言で説明できないことが、知名度の低さにつながっているのかもしれない。独立系投資信託のコモンズ投信会長で、渋沢栄一を高祖父に持つ渋澤健氏も「渋沢栄一は自分が中心に立つのではなく、周囲に刺激を与えて支援する応援役だった」と話す。
そんな彼の考え方を象徴するのが銀行の設立だろう。渋沢は資本主義の考え方を日本に紹介した人物として知られるが、その目的は民間の力を高め経済活動を活発化することにあった。中でも一つひとつ、散在している小さな資本を集約すれば、経済を動かす大きな成長資金になることを、銀行という仕組みを通じて世に示したのは、彼の大きな功績の一つといえる。
渋沢は、第一国立銀行設立にあたって出した株主募集布告において、当時の人々に銀行の仕組みを理解してもらうべく、次のような例え話を残している。「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝に溜(た)まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。(中略)せっかく人を利し、国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない」
この言葉は示唆に富むものだ。メガバンクはじめ、多くの日本の銀行が今、マイナス金利など収益環境の悪化に苦しみ、貸出先の不足に悩んでいる時だからこそ、1万円札の図柄に渋沢栄一が選ばれた意義は大きい。成長資金を社会が必要としている所に循環させる、銀行本来の役割を今こそ思い出すべきだろう。成熟期を迎えた日本の資本主義経済が次なるステージへ向かうカギは、ひょっとしたら再び銀行のあり方にあるかもしれないのだから。
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