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本田技術研究所は「シビック」など数々の名車を生み出してきた

 ホンダは2月18日、事業運営体制の変更について発表した。1960年から技術開発を担ってきた子会社の本田技術研究所から四輪車の研究開発機能を引き離し、4月にホンダ本体に統合する。研究開発機能の本社統合は、2019年の二輪車に次いで2年連続。技術研究所は新たなモビリティーやロボティクスの拠点となるという。

 自動車メーカーでは、開発から生産、販売までの一気通貫の体制は当たり前とも言える。その中でホンダは「開発の独立」の名の下に、開発部門を別会社にする独特のスタイルを60年続けてきた。OBをはじめとする関係者の間では、それこそが「らしさ」とする声も多かった。

 技術研究所には年に数度、ホンダ本体の役員が訪れ、独創的な研究を評価する「評価会」がある。そこでは、実現性などの面で難がある研究成果も一定の評価を得ていたという。「ダメな方向が分かれば、そっちに進まなくていいことが分かる」(ホンダOB)ためだ。

 しかし最近は、技術研究所の役割が変化していたとの声も出ていた。ホンダはもともと営業の力が強い会社でもある。世界の主要地域が求める派生車種が増え、そのための図面を描くことが評価につながる風潮が広がっていたという。

 そこにメスを入れたのが八郷隆弘社長だ。車種の削減や二輪車の研究開発機能の統合に加え、19年にはホンダ本体の常務執行役員だった三部敏宏氏を技術研究所の社長に据えた。社内では「三部氏は技術研究所の人とは違う」との声もあり、海外経験も豊富とは言えない。その三部氏は今回の構造改革に伴い本体の専務取締役に昇進。八郷氏の「後継」候補との臆測も広がる。

 「研究所の社長をして、アメリカのトップをやるくらいでないと、自動車会社のトップは務まらない」。あるOBはホンダのトップの資格についてこう語る。ホンダの「頭脳」である技術研究所のトップを本体の専務クラスで務めたうえ、米国法人で経営を学ぶ。八郷社長を除けば、歴代社長は両方を経験している。

 ケーヒンをはじめとする系列部品会社の日立製作所グループへの統合や、英国工場の閉鎖など生産再編に踏み切った八郷氏。技術研究所の再編は、その社長を経験していないからこそ決断できたのかもしれない。15年に就任しながら「いつまでたってもドクトリンが出てこない」(あるホンダOB)と批判を受けてきた八郷氏。どこまで社長を続けるかは見えないが、一連の改革の総仕上げに入っていることは確かだ。

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