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 中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が東南アジアを揺さぶっている。死者は確認されていないものの、感染者は27日までにフィリピン、ベトナム、カンボジア、シンガポール、タイで確認された。ほとんどが中国人だが、現地報道によれば、少なくともタイでは1人の現地住民が感染している。何より、新型肺炎は東南アジアの観光関連産業に大きな打撃を与える恐れがある。

 米CNNは中国経済が冷え込んでいる最中での感染拡大について「中国経済にとって最悪のタイミング」と表現した。それは東南アジアにも当てはまる。米中貿易戦争の煽りを受け、東南アジア各国は製造業の不振に直面し経済成長を鈍化させていた。そこに追い打ちをかけるように中国発の新型肺炎が拡大し、今度は観光や飲食などサービス業を危機に晒している。

中国人観光客も多く訪れるバンコクのチャイナタウン

 「香港の大規模デモが影響したせいか、去年から中国人の観光客は若干減っていたが、新型ウイルスで客足がさらに落ちた。去年の春節休みと比べ少なくとも5%前後、中国人観光客が減っているように思う」。25日、バンコクのチャイナタウンとして知られるサムパッタウォン地区で、中国人観光客向けに薬草を使ったドリンクを販売する73歳の店主はこう話す。春節シーズンを迎えたチャイナタウンには多くの中国人と見られる観光客で賑わっていたが、既に新型肺炎の影響は出ていた。バンコクから車で2時間程度の著名な観光地、パタヤでも「去年に比べて中国人の数が目に見えて減った」とあるホテルの従業員は話す。

 観光業はタイ経済を支える主要産業だ。タイ政府観光庁によればインバウンドによる収入は約2兆バーツ(約6.8兆円)と、2019年のGDP(国内総生産)の2割ほどを占めた。同年にタイを訪れた外国人観光客は3979万人で、うち中国からの観光客の数が1099万人と約3割を占める。

 ただタイでは2018年に南部のビーチリゾートで中国人観光客を乗せたボートが転覆する事故が発生。さらに2019年にはバーツ高が足かせになり、近年では中国人観光客数の伸びが鈍化していた。そこでタイ政府は昨年末から中国の観光需要をてこ入れすることを検討していた。その矢先、新型肺炎が猛威を振るい始めた。

 もっとも、春節直前までは新型肺炎の拡大について、どちらかといえば楽観視する向きがあった。たとえばタイ大手銀カシコン銀行傘下のカシコン・リサーチ・センターは1月24日、「新型ウイルスは一時的にタイの観光業とって打撃になるものの、1年を通してみれば影響は限られる」とするレポートを発表している。だが時々刻々とその深刻さが伝わるにつれ、楽観的な見通しも吹き飛んでいく。

 タイ現地紙によれば、タイ商工会議所大学は28日、中国が海外への団体旅行を禁じたことなどにより、最悪の場合タイの観光業を中心に約1703億バーツ(約6011億円)の損失を被る恐れがあり、2020年のGDPを1~1.5%押し下げる恐れがあると指摘した。さらにタイ政府観光庁は同日、2020年の中国人観光客数が約900万人になりそうだと発表した。前年と比べ200万人も減る計算だ。

 「新型ウイルスは正直言えば怖いが、仕事をやめるわけにもいかない。自分たちで身を守るしかないだろう」。中国人観光客が多く訪れる飲食店のマネージャーは分厚いマスクを外すことなくこう話し、上述のパタヤのホテル従業員も「大惨事が起きるかもしれない」と不安を抱えながら仕事を続けていた。中国人観光客を抜きに彼らの生活は成り立たないからだ。新型肺炎の収束が遅れ、中国からの観光客が途絶えてしまえば観光業の主な担い手である中小零細業者の生活は脅かされる。現地報道によれば、27日、タイ旅行業協会は観光関連産業を下支えするよう政府に要請した。

 米中貿易戦争による製造業の不振に新型ウイルスによるサービス業の不振も重なり、東南アジアの景気見通しは不透明感を増している。タイ証券取引所では観光関連銘柄を中心に売りが膨らみ、株価指数は1月20日以来下落が続いた。28日の終値は前日比11%安の1513.26ポイントと2016年12月以来の安値を付けた。同様に、シンガポールやマレーシアの株式市場の株価指数も軒並み下落している。

 米中貿易摩擦と新型肺炎の「ダブルパンチ」の影響を受けるのは現地企業にとどまらない。アジアに多く進出している日系の小売りや飲食業を始め、日系メーカーが高いシェアを握る自動車産業にも波及しそうだ。タイでは昨年後半から国内の新車販売が落ち込んでいる。23日に会見したトヨタ自動車タイ法人の菅田道信社長は「(米中貿易戦争などを背景に)消費者マインドが冷え込んでいる」ことをその要因に挙げた。新型肺炎に収束の兆しが見えなければ、消費者のマインドはさらに冷え込むことが避けられない。

 ロイター通信などの報道によれば、シンガポールは湖北省からの渡航者の入国を禁止し、マレーシアは同じく湖北省の住人に対するビザ発給を停止、そしてフィリピンは中国人に対するビザ発給を停止した。感染拡大を水際で食い止めることは各国にとって最優先課題だ。だが拡大を食い止めることができても、観光業を中心とした経済への悪影響を止めることはできない。現状では中国による一刻も早い事態の収拾を祈るばかりだ。

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