中国湖北省の武漢市政府は1月23日、新型コロナウイルスによる肺炎の流行を食い止めるための措置として公共交通機関の運行を一時停止すると発表した。同市からほかの都市に向かう地下鉄やバス、川を渡る客船などの運行を停止する。運行再開の時期は未定。人が多く集まる公共の場所では、マスク着用を義務づけた。武漢市当局は「特殊な事情がなければ、市民は武漢から離れてはいけない」と呼びかけている。約1100万人の人口を抱える大都市は、事実上封鎖された。
香港メディアの蘋果日報は、武漢駅で移動制限が発令された直後の23日早朝には、高速鉄道の切符を求めて住民が押しかけるなど混乱があったと伝えている。春節(旧正月、今年は1月25日)前後は、中国では帰省や旅行などで人の往来が最も活発になる時期だ。カレンダー上は1月24日から1月30日までが休日だが、公共交通機関では1月10日から「春運」と呼ばれる特別ダイヤが組まれている。
旧正月間際になると飛行機や高速鉄道などのチケットが値上がりしたり取れなかったりするため、2週間ほど前から人の移動が活発化する。新型肺炎はこうした国内外の移動時期を直撃しており、地域経済のほか各地の観光需要にも影響しそうだ。
事実上の移動制限という強引な手段がとれるのは、中国ならではだ。ただし、遅きに失した感は否めない。すでに武漢市以外にも感染は広がり、23日までに新型肺炎に対する中国の感染者は571人、そのうち死者は17人となった。上海市中心部でも感染者が発生しており、同ビルで働く従業員は「全身防護服に身を包んだ担当者がやってきて、消毒活動に当たっていた」と証言する。
上海市内のオフィスビルのエレベーター。2時間おきに消毒するとの張り紙
企業活動にも影響が出ている。全日空は成田空港から武漢空港への直行便の欠航を決めた。武漢市に拠点を持つ企業は、うがいや手洗い、マスク着用など衛生面の注意に加えて、対面会議ではなくテレビ会議への切り替え、出張制限などを実施し始めた。外務省は23日、武漢市の感染症危険レベルを2に引き上げた。
「愛国ウイルス」の反逆
新型コロナウイルスには、中国のネット上で「愛国病毒」というニックネームが与えられている。日本語に訳せば「愛国ウイルス」だ。
中国版ツイッター「微博」における「愛国ウイルス」についての書き込み
中国当局の発表では、1月11日時点で国内の感染者は41人で武漢市内のみで、16日に新たに4人の発症が報告されたのも武漢市内だった。国内報道では「人から人への感染は確認されていない」など、影響は小さいことが強調され、報告されるのは武漢市内と海外事例ばかりだった。「武漢から他の都市には広がらず、その他の感染例は海外」という事実が「愛国」という表現の由来だが、日常的に情報統制がなされている中で感染情報の公開を疑問視する中国人なりの揶揄(やゆ)表現と解釈するのが素直だろう。
もちろんウイルスに愛国心があるはずがなく、状況は急変した。19日に武漢市内の患者数は一気に3倍近くに膨れ上がる。20日には広東省、上海市、北京市と武漢市以外の中国の都市での感染が報告され、患者数も291人に急増した。21日には440人、22日には571人と、感染拡大に歯止めがかからない状態だ。
公表患者数が19日から急増(出所:新華社などから日経ビジネス作成)
ウイルスは変異によって人から人にうつるようになったり、悪性度が高まったりする可能性がある。そのため、急速に状況が悪化したのかもしれない。だが、感染の地理的、量的な急拡大を受け、中国当局の初期の情報公開体制を疑問視する声が半ば公然と上がり始めた。
中国はかつて重症急性呼吸器症候群(SARS)が発生した際の情報公開や共有に積極的ではなく、SARSは世界的に流行した経緯がある。英国の研究機関の研究者は、武漢市では1月12日時点で「合計1723人の患者が新型コロナウイルスに感染していたのではないか」と推計している。
習近平国家主席は20日、感染拡大防止のため、科学的見地から記者会見などを通じた情報公開を行うなどの「重要指示」を出している。北京の地元紙「新京報」は、「医療従事者への感染をなぜもっと早く知らせなかったのか。最悪のケースを想定して対応していればこれほど速く感染が拡大していなかったかもしれない」とSNS上で当局の対応を批判した。
人民日報系メディアである環球時報の胡錫進編集長は21日、自身の微博アカウントで「鍾南山教授が武漢の肺炎が伝染している事実を公開しなかったなら、武漢当局は公式に認める意志があったのだろうか」と非難し、「情報公開など簡単なはずなのに、一部の役人が引き延ばした」と指摘した。中国政府で保健衛生を担当する国家衛生健康委員会は22日に会見を初めて開き、「我々は情報公開を重視している」と情報公開の遅れを否定している。
新型肺炎の患者は海外では、日本、韓国、タイ、台湾、香港、マカオ、米国で報告されている。感染拡大を食い止めるには国際協力が必要になるだけに、最大の患者数を抱え発生地と見られる中国には情報共有の透明性が求められる。
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