次の主戦場は、自動車用

 さらに最近、永守が特に力を入れているのが自動車用モーターだ。1997年に日産自動車傘下のトーソクを買収した後は、自力での研究開発を進めてきたが、2006年に仏自動車部品大手のヴァレオからモーター事業を買収したのを機に、海外の自動車部品メーカーからモーター事業を買収する姿勢を強めている。

 条件面で折り合わず結論は先送りされたが、2008年にも合意寸前まで進んだ幻の大型案件があった。足元の自動車業界の不振を考えると、永守は「あのとき無理に買っていたと思うと恐ろしい」と苦笑いするが、それで手綱を緩める気はない。足元は買い手と売り手の希望価格に差が生じているが、時間の経過とともにその目線は近づく。永守は「今年は買い手にとって有利になる」と見る。

 こうした水平方向の買収の目的は、自力で新たな領域に進出するために必要な研究開発の時間とコストを買うことにある。ただそれ以上に意味を持つのが、顧客へのアクセス権を獲得することだ。

 「IT(情報技術)業界は、2つの業者から仕入れることで価格を競わせることが多く、新たに入り込むチャンスが多い。しかし信頼性を重視する自動車業界は、一見(いちげん)の客というわけにはいかない」

 日産自動車出身で、家電用から自動車用まで主に中型モーターを担当する副社長の澤村賢志はこう分析する。既に顧客への窓口を持つ自動車部品会社を買収することで、ようやく取引の門戸が開かれるというのだ。どんなに良い製品を安く作っても、最初から買ってもらえなければ始まらない。

 ヴァレオのモーター事業買収を手がかりに、少しずつ顧客層を広げつつあるが、車載モーターのシェアはまだまだ。「買収しかありません」。澤村の視線は、もう次の買収へと向かっている。今後も一段と加速するであろう日本電産のM&A戦略だが、買収後のグループ会社のあり方にも変化が出始めている。

変化し始めた連邦経営

 現在日本電産グループには、日本電産を含め7社の上場会社がある。これまで国内外で27件のM&Aを実施してきた日本電産だが、買収後も従来の経営陣が残るのが原則。永守が会長に就く以外に、常勤取締役が1人入る程度で、あくまで従来の経営陣による自主独立経営を目指している。

 買収するスピードが速く、買収先企業でトップとして采配をふるう人材の育成が日本電産社内で間に合わないという事情もあるが、従来の経営体制を維持することで、経営陣や従業員のやる気を引き出す狙いもある。永守はこれを「連邦経営」と名づけている。

 一般的に、買収後にグループ経営のシナジーを追求するのであれば、買収先企業を、製品や機能ごとにいち早く整理統合する方が望ましい。また大企業で導入されているカンパニー制でも代替が可能なはずだ。しかし永守は「財布の独立がないと意味がない」と言い切る。

 グループ会社に収益責任を持たせるうえで、その源泉となるのは、物を買う値段と売る値段を決める権限。共同購買に踏み切らないのも、価格決定権を奪ってしまうと、グループ会社の収益向上意欲をそぎかねないと考えているためだ。

 ただ足元ではグループ各社の大半が、受注が半年前の半分程度まで落ち込んでいる。もはや自社内の努力だけではとても対応できない水準に達しようとしている。そこで今後のポイントとなるのは、どうやって買収先の独立を維持しながら、よりグループとしてのメリットを追求するか。その手本となりそうな取り組みが、中国の工場にあった。

 上海から杭州に伸びる高速道路を車で約1時間半走ると、「日本電産工業園」「友は友をよぶ ようこそ友のもとへ」と書かれた看板が見えてくる。長江デルタ地帯に位置する浙江省平湖市にある、日本電産グループの一大生産拠点だ。

 各工場の敷地は道路で区切られているが、日本電産の東には、日本電産シバウラ、西には日本電産コパル、北には日本電産コパル電子といった具合に、日本電産グループ9社の生産拠点がこの工業園に集まっている。その広さは1km2に及ぶ。

 買収前の日本電産シバウラが進出していたのがきっかけで、永守はここにグループの生産拠点を集約させることを決めた。今や、日本電産はここ平湖市経済開発区で最大の外国企業だ。

 中長期の投資継続を約束することで、市から様々な優遇政策を受けている。昨年の北京五輪時期には、電力不足で周辺地域は週に何度か停電したというが、日本電産には優先的に電力が供給され、生産を休止することはなかった。

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