不況が言わせた続投宣言

(写真:アフロ)
(写真:アフロ)

 もっとも、これで意気消沈するような経営者ではない。この日、九頭竜大社に現れた永守は、やる気に満ち溢(あふ)れていた。この危機をどうやって乗り越えるのか。目の前に押し寄せる波を、まるで楽しむかのように、前向きな言葉が並んだ。「こういう時に問われるのは経営者の力や。経営者の求心力があればこの危機は乗り越えられる」。これが神の前で自らに誓う強い決意でもある。

 境内を9周した永守は、いつものように最後におみくじを引いた。2008年に永守が引いたおみくじは、「焦らずひたむきに精進せよ」といったものばかりだった。「最近は本当にええのが出んのや」とぼやきながら引いた昨年最後のおみくじ。永守は、ひっくり返りそうになるほどのけぞった。「これは、ええのが出た」。

 おみくじにあった言葉は「奇蹟を以(もっ)て望をかなへる」。一体どんな奇跡が起きるというのだろうか。

 世界同時不況という逆風は、永守という経営者のエネルギーに変わろうとしている。九頭竜大社に参拝した後、必ず立ち寄るそば屋がある。そばをすすりながら永守は静かに宣言した。「今回のクラッシュで決めた。わしはしばらく社長を続ける」。

進化する永守流M&A

 「M&Aは買収するまでが2割、買収した後が8割」

 買収後にこそM&Aの成否がかかっていると話す永守は、日本電産での日々の業務執行を副社長の小部博志に任せ、買収した国内外のグループ会社を飛び回る。

 2008年12月上旬。この日、永守は群馬県桐生市の日本電産サーボにいた。日本電産サーボとは、2007年に日立製作所から買収した旧日本サーボだ。数あるグループ会社の中でも、この会社の再建に対する永守の力の入れようは特別だった。

 買収が正式完了したのが2007年の4月下旬。それから半年間、永守は京都から2泊3日のスケジュールでほぼ毎週、桐生に通った。工場を見て回りながら気がついたらその場で指示を飛ばし、昼食会や夕食会を開いて全社員と語り合った。そして必ずすべての伝票に目を通し、自ら判をついた。なぜそこまで労力をかけたのか。

 永守が日本電産を立ち上げた1973年当時、サーボは「モーター専業メーカーの中でひときわ輝くあこがれのマドンナだった」という。売上高こそ50億円程度だったが、6億円近い営業利益を稼いでいた。同じモーター会社を立ち上げたばかりの新人経営者は、「こんな会社を作りたい」と決算書をよく眺めていたという。

 その後90年代に入ってすぐ、サーボの業績が悪化すると、永守は親会社の日立製作所に買収を打診する。日立はなかなか首を縦に振らなかったが、永守はあきらめずにラブコールを送り続けた。それから16年。その間、日立の社長は3人変わった。辛抱強く待ち続け、ようやく実現しただけに、これまでの買収で学んだノウハウのすべてをサーボに投じ、短期間で再建させたかったのだ。

 「最初は100点満点の3点」。永守が最初に見たサーボの工場は、「倉庫の中に工場があるのか、工場の中に倉庫があるのか分からなかった」ほど汚かった。3点とは、日本電産が掲げる経営改革活動「3Q6S」の点数だ。

次ページ 自ら「3Q6S」を徹底指導