「インサイト」をつかむ方法
私が、広告業界に足を踏み入れたのは1991年の夏のことでした。営業志望だったのですが、人手不足の情報システム室に配属。華やかな(と思えた)広告とは無縁の業務を2年間こなしたのち、ようやく営業局に異動できたのですが、最初に担当したクライアントでは、当時の販促課長を訪問しても、半年間、席に座らせてもらえませんでした。
今のようなセキュアな環境ではなかったので、課長の席の近くには行けるのですが、課長席の隣にある小さな応接セットに座って打ち合わせをさせてもらえなかったのです。他の広告代理店の営業が楽しそうにその応接セットで課長と談笑する姿を何度も見かけましたが、営業になりたての私は、「広告代理店の営業の仕事とはそういう厳しいもの。これも試練である」と思ってさほど気にせず、淡々と会話をしていました。それがいけなかったのだと、少したってから気付きます。
なぜ気付けたかというと、隣の課の係長が見るに見かねたのか、課長の元を訪れるたびに、課長との会話の前後で私に声をかけてくれるようになったのです。その係長とは直接仕事では関わらなかったので、ほぼ趣味の話などの雑談でしたが、そのうちクライアント内部のことを色々教えてくれるようになりました。そこで、気付かされるのです。
私は課長の気持ちどころか、課長が私をどう思っているのか(あるいは何も思っていないのか)すら、全く考えてなかったのだと。「課長は“そういう態度の人”なんだ」とはなから(しかも無意識に)決めつけていたのです。こちらが明らかに心を開いていないのに、向こうが開いてくれるはずもありません。そもそも興味を持ってもらえるような、相手を動かす言動を、私自身が全くできていなかったのです。
そのクライアントは「ファッションビル」と言っていたショッピングセンターで、たくさんの店舗が入っていました。ある日、午前中にアポイントメントがあり、夕方にも再び訪問するということがありました。午前と午後のアポの間に時間があったので、そのショッピングセンターにテナントとして入居していた美容院に行って髪を切りました。すると、夕方に再訪問したとき、係長はもちろん、課長も私の髪が短くなっていることに気が付き、向こうから声をかけてくれたのです。
そのうち課長は、「田中くん、うちはアパレルを多く扱っているんだから、スーツじゃなくて、ジャケットとパンツを合わせるとか、もっとおしゃれして来なよ」なんて気さくに声をかけてくれるようになりました。もちろん、形から入ってそれで終わりでは仕事をいただけません。何気ない会話の中で競合の動きを共有したり、メディアから仕入れたトレンドの話を投げたりしながら、課長との距離を縮めていきました。「応接セットに座らせてもらえなかった半年間は何だったんだろう」と思うくらい、やがて課長や周囲の方々に受け入れてもらい、徐々にクライアントの本音を聞き出すことができるようになりました。
ちなみに、当時、私のことを最初に気にかけてくれた係長とは30年近くたった今も、たまにゴルフに行くなどのお付き合いが続いています。
余談ですが、私はあまり駆け引きをしません(相手がそれを望むときは、駆け引きに応じることもたまにありますが)。そして、何よりうそをつかないことが大事だと思っています。
さて、どうしたら、いいコミュニケーションができるか?
8月25日に行われたMCA学生道場(マーケター志望の学生90人が参加している講座)で、講師を務めたMCA理事の富永朋信さんは、学生にこう言いました。
「相手の内在論理を理解する」
「相手に寄り添ったコミュニケーション」
が大事であると。
私は、その第一歩として、つぶさに言動を観察すべきであるとお伝えしたい。言動とは、「発言」と「行動」のことです。
先の駆け出し営業時代のエピソードをはじめ、長年の広告代理店経験で学んだのは、「相手の気持ちを読む」「相手の気持ちになって考える」ということは、「相手の言動をつぶさに観察すると同時に、こちらの気持ちを相手が手に取るように分かってくれるような言動を心がける」ということです。相手の気持ちを読んで終わりということはまずないので、その後どうすればいいコミュニケーションにつながるのかを考え、自分の言動に生かすことも重要です。
マーケティングや広告の仕事で重要なことの1つに、「インサイト(洞察)」というものがあります。それは「ニーズ」ではなく、対象者自身が気付いていない動機や本音のことを指します。対象者自身も気付いていないのですから、聞けば言葉で教えてくれるものではありません。つまり、相手の言動を注意深く観察し、その結果を自分の言動に反映し、それに対する相手の言動を丹念に観察し……というサイクルを繰り返し、相手の本音を言語化していく作業が重要なのです。
そして、それがいくつか見えてきたとしても、こちらがアクションしなければ何も起こりません。コミュニケーションのきっかけは、こちら側から作るべきです。理想は相手も同じような気持ちになって、対等な関係を築くことです。
そろそろ、今回のお題に行きたいと思います。設定は次の通りです。
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