これはデータでもはっきりしているのですが、どういうわけか介護に関しては、それもまた「いつかは自分にも起こること」であるにもかかわらず、地震や台風といった災害ほどには対策を講じていないことが分かっています。ほとんどの人が丸腰と言っていい状態なのです。

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 当社の調査では、いざ介護となった場合、支援を依頼することになる介護のプロに、どこへいけば会えるのか知らない人が約8割です。要介護認定申請のタイミングがわからない人も約8割です。そして、品質の高い介護を行うために必要となる親の理解が進んでいない人は9割を超えるという結果になっています。

これでは「いざ」というときにパニックになる

 ほとんどの人が避けることができない介護問題について、これだけの規模で、ほとんどなんの準備もなされていないという状況は、国全体として考えた場合、あまりにも恐ろしいことではないでしょうか。「いざ」というときに、ほぼ全員がパニックに陥ることが明らかだからです。

 介護は、いきなり始まることが多いのです。親が骨折して車椅子生活になる、親が認知症になる、親が重い病気になりこれまでの生活が維持できない……そうなったとき相談先も分からず、介護サービスをお願いするためのお金も足りず、親の自宅は老朽化しておりバリアフリー化なども進んでいないとするなら、どうでしょう。

 実際に、以前の連載記事「老後2000万円問題に介護費用は含まれない どうすればいい?」(2022年1月28日掲載)でも取り上げましたが、ほとんどの人が避けられない介護に関して、何らかの民間の保険に加入している割合は、わずか16.7%(2021年度生命保険に関する全国実態調査)です。では、大多数が、介護に対してはここまで丸腰なのは、どうしてなのでしょう。

介護を考えることは、大切な人のことを真剣に考えること

 災害心理学において、何度も登場する言葉に「正常性バイアス」というものがあります。自分にとって都合の悪い情報への接触を避けたり、過小評価したりする人間の心理的な特徴のことを指しています。この「正常性バイアス」は、例えば、災害時に逃げ遅れる場合の要因として広く知られています。「自分だけは大丈夫」というような心理状態と言えば、伝わりやすいでしょうか。

 また、個人レベルで介護の対策が進まない背景には、こうした「正常性バイアス」以外にも「忌避感」の存在があります。将来の介護について考えるということは、親などの大切な家族との離別を前提として強く意識することであり、一般には、縁起でもないことだからです。

 しかし、介護に伴う苦難を少しでも軽くするための対策をしておくことは、相手のことを大切に思えばこそでしょう。介護と向き合わず、いざというときにパニックとなり、誰もが不幸になるような介護に突入してしまうことは、誰も望んでいないはずです。

 そのためには、私たちの親の終末期について考えるというだけでなく、私たち自身の終末期について考えることが必要になるのかもしれません。それは、単に自分のことを考えるというよりは、大切な人の人生を支えつつ、自分もまた、大切な人の負担にならないよう準備することにもつながります。

 こうした準備の邪魔になるのが「正常性バイアス」と「忌避感」です。これら2つのハードルを越えるためには、社会全体として、介護の問題を正面から見つめるような文化の形成が必要になるでしょう。例えば、仏教の世界には、生老病死という言葉があります。「人間の苦難は、生まれ、老いて、病を得て、死んでいくこと(四苦)であって、全ての人が直面する。日ごろから意識することで、よりよい人生につなげなければいけない」といった考え方です。超高齢社会においては、一段と示唆に富む考え方ではないでしょうか。

 誰もが当たり前に介護について議論するような、そんな社会にしていかなければなりません。

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