読者の皆さんと一緒に親、そして自分自身の「老い」とうまく付き合うための「エイジングリテラシー」を学ぶシリーズ。今回のテーマは、前回に引き続き、「団塊ジュニア」が「団塊」を介護する2025年問題にどう向き合うか。読者の皆さんからのコメントを踏まえ、ポイントを解説します。

(写真:マハロ / PIXTA)
(写真:マハロ / PIXTA)

 こんにちは。リクシス佐々木です。

 「団塊ジュニア」が「団塊」を介護する2025年問題にどう向き合うか。前回の記事には多様な皆さまからたくさんのコメントを頂きました。

 今日は頂いた皆さまのコメントを踏まえながら、これまで当たり前と考えられてきたいくつかの「論点」について考えながら、私たちができること、そして企業や社会ができることを考えていきたいと思います。

(※引用するコメントは読みやすさを考慮し、一部編集している場合があります)

ポイント1 介護は「家族がやるべき」恩返し?


まっつ
社内コンサルタント見習い
 介護は家族だから我慢してやるのです。それは子供を育てるのと似ています。子供は手がかかるけど我慢して育てます。介護はこれまで親が自分を育ててくれたので「恩返し」として頑張るものです

「介護」と「育児」の本質的な違い

 まっつさんのコメントにもあるように、「介護」という言葉を聞くと、多くの方は、真っ先に家族の方が頑張って身内の高齢者ケアをするイメージを思い浮かべると思います。

 実際、企業側の両立支援策について考えてみても、「介護」と「育児」は同列に語られることが多いですね。

 確かに、両方とも「原則として家族がやるもの」という暗黙のコンセンサスがあることは事実だと思います。ただ、「育児」と比較すると、「介護」はあらゆる意味で「家族だけで行う」ことは格段に難しい、ということを、改めて理解しておく必要があるように思います。違いは以下です。

  • 「育児」はいつ始まるかが分かり、いつ終わるかもだいたい想像がつくが、「介護」は始まりも終わりも見通しがつきにくい。
  • 「育児」は、ケアする側が自分が育てられた経験を持つが、「介護」については、ケアする側は自分が「介護」された経験がゼロである(経験値も情報量も少ない)
  • 「育児」は子供の成長支援という「前向き」な側面があるが、「介護」についてはむしろ状況が好転せず悪化していくことも多い(親族であればあるほど心理負担は大きい)
  • 「育児」はまだ自我が完全に確立していない乳幼児のケア、「介護」は自我が相当に確立して人生経験もある大人のケアであり、本人意志とのすり合わせ難易度は介護のほうが高い
  • 「育児」と違い「介護」は、「既往病歴に対する医学的見地や老年医学の専門性」と切り離せないことが多い

 つまり、いつ始まるか、いつ終わるか分からない介護を、本質的に「プロ」でもなく「経験値」もなく、「関係性の観点から心理負担を持ちやすい」家族だけで抱えるのは、育児と比較しても圧倒的に難しい構造にあるのです。

病気の対応は「医者」、対人トラブルは「法律家」、介護は?

 最近、介護のプロや在宅医療を専門にしている医療関係者と話をすることが多いのですが、口をそろえて、「高齢者ケアはなるべく早くプロに相談し、任せることは任せ、ご家族にはご家族にしかできないことをやっていただくのがよい」とおっしゃいます。

 ちなみにこれは、「とにかく早く施設に入りましょう」という意味では決してありません。「早いタイミングで相談してもらえれば、プロとしての専門性と情報リソースをフル稼働させて、ご家族と共に体制を組み立てられる。物理的なケアについても我々は専門家だし慣れているので、ぜひ頼ってほしい」という趣旨だそうです。

 ここで、私にとって印象に残っている、介護業界20年以上のベテランの言葉をご紹介させてください。

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