
前回は「自分が介護をしてあげたい」という気持ちが生み出してしまう課題について考えました。愛されて育ったから、その恩返しとして、親の介護は自分がしてあげたい。親には迷惑をかけたから、介護くらいはやってあげたい。そうした気持ちが、かえって、介護の品質を下げてしまうとするなら、問題です。
何事もそうですが、品質を担保するのは知識と経験に裏付けされた専門性です。介護の世界にも多数のプロフェッショナルがいて、それぞれに、日々、知識と経験を積み上げています。「自分が介護してあげたい」という気持ちだけで、素人が直接、介護の中身に手を出してしまうことによるリスクについて、認識しておくことが大事です。
「自分が介護をしてあげたい」という気持ちの功罪を見つめつつ、介護の品質について考える必要があるわけです。今回は、そうした前回の記事に対して頂戴した様々なコメントをベースとして、さらに、この問題と対処法について考察してみたいと思います。
家族で介護をすることに対する喜びもある?
自分で介護をすることは、介護を必要とする人に対して、素人の品質を押し付けることにもなりかねません。品質の低い介護は、介護を必要とする人の状態を悪化させることにつながります。結果として、金銭的、肉体的、精神的、時間的に、介護の負担が上がってしまうことが多くなるわけです。それだけでなく、自分で介護をすると、家族との適度な距離が失われてしまうというのは、Makitaさんのコメントにもある通りです。
だからといって、いざ、プロに介護をお願いしようとすると、私たちは罪悪感を持ってしまうのです。愛する相手が介護を必要としているなら、なんとか自分で介護してあげたいという気持ちは、とても自然な感情です。介護を必要とする人もまた、家族による介護を希望するケースもあるでしょう。
家族での介護を継続している人の意識調査の結果を以下に示します。この意識調査では、昭和大学保健医療学部看護学科が、プロによる介護への介入に消極的な家族へのヒアリングを行っています。この意識調査から見えてくるのは、介護を継続することが、ある意味で、家族の幸福感にもつながっているということです。