読者の皆さんと一緒に親、そして自分自身の「老い」とうまく付き合うための「エイジングリテラシー」を学ぶシリーズ。今回のテーマは、前回に引き続き介護生活に入る前に「本人の意向」を確認しておくことの大切さについてです。読者の皆さんからのコメントを踏まえ、ポイントを解説します。

(写真:PIXTA)
(写真:PIXTA)

 リクシスでチーフ・ケア・オフィサー(CCO)を務めている木場猛です。前回は、親の人生を理解することが介護負担の軽減につながることをお話ししました。今回はいただいたコメントをご紹介しつつもう少し考えてみたいと思います。

 前回、多くの方が高齢の親の意向について実際に聞くことはできていないということをお伝えしましたが、いただいたコメントの中には実際に聞いた方のお話がありましたのでご紹介します。

(※引用するコメントは読みやすさを考慮し、一部編集している場合があります)


Makita
人事リーダー
 母は私の故郷で一人暮らしをしているので、なかなか「どうしてもやりたいことは何か?」をゆっくり聞ける時間を持てていないのが現状です。時々電話で話をしたり、コロナ以前であれば帰省した際に、生きることの張り合いを聞いたりするのですが、「もうやり残したことはない。できることなら、早く楽に死にたいな」ということばかり繰り返します。
 母を見ていると、確かにこのために生きたいんだという趣味や楽しみがあるわけでもなさそうで、自分に置き換えても、早く楽に死ぬことを願う彼女の気持ちが分からなくもないです。これからモチベーションを持つようにサポートするといっても、限界を感じています。

 Makitaさんの言うように、実際に親御さんに話を聞いてみても、はっきりした答えは得られないことがあります。

 「どんな介護を受けたいか」「この先どう暮らしていきたいか」「一番大事にしていることは何か」のような大きな質問は、老後の生活の方針や介護方針を考える上で非常に重要なことです。しかし、質問される本人ですら考えたことがない場合がほとんどです。

 この先どう暮らしたいのかという意向を自分で言葉にできる人はそう多くありません。

 ましてや、衰えを自覚してからとなるともっと難しくなるでしょう。年を取って体が衰え、これまでできていたことができなくなっているという時期に、先のことを前向きに考えることができる方は、私が接してきた中でも数えるほどしかいませんでした。


K.Gotou
情報処理従事者
 心苦しいけれど、書きますと「楽に死なせてくれ」「長生きさせてくれ」「百姓続けたい」「小さな旅行をさせてくれ」「お金の心配せんでいいようにしといてくれ」……。父は、仕事のこととお金のことが頭から離れないまま認知症へ、母はずっと「若い気」のまま認知症へ進みました。だから、「そりゃ、無理でしょ」という要望内容。もはや、論理ではない。けれど、真剣だし必死なのです。こちらは聞いてあげることしかできない。
 一度、話を聞けば、その場から離れられない(離そうとしない、離れれば機嫌が悪くなる)。昨日の要望と今日の要望が反転する。助けていただけるところに現状を説明して、フォローしてもらいながら両親と付き合っていくしかなかった。聞けば離れられなくなる。
 私は、介護離職後、自身のことは諦めて、子供のことは家内にお願いすることに。それが良いこととは思っていなかったにせよ、そうせざるを得なかった。後悔は今でも続いています。要望を聞くことが最善なのか。ケース・バイ・ケースなのですが、慎重さは必要と、今では思うのです。

 また、K.Gotouさんが苦しい実体験として挙げてくださったことも、現実だと思います。要望をかなえることができず、かといって離れることもできないというのはさぞ、つらかったのではないかと思います。