(写真:PIXTA)
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 愛されて育ったから、その恩返しとして、親の介護は自分がしてあげたい。親には迷惑をかけたから、介護くらいはやってあげたい。そうした気持ちになれるのは、親子関係が良好な証拠でもありますし、幸せなことだと思います。

 大切な人が困っているなら、自分の手で助けてあげたいという気持ちは、とても自然なものでしょう。ただし、介護で愛情表現をすることには、思わぬリスクもあります。かえって、症状を重度化させてしまう可能性があるからです。

 意外と忘れられがちなことですが、品質の高い介護を行うためには、様々な専門性が必要になります。自分に専門性と経験がないようなことを、自分でやろうとすると、失敗するのは当たり前です。介護において失敗をしてしまうと、要介護者の状態は悪化してしまいます。

 今回は、そうした「自分が介護してあげたい」という気持ちが生み出す介護の課題について考えてみます。現在、介護中の方はもちろん、将来の介護を考えたい方にも、ぜひ、一度は考えておいていただきたいことです。

そもそも介護(ケア)とは何か

 介護というと、すぐにシモの世話が連想されるものかもしれません。しかし、シモの世話といったことは介護の手段であって、目的ではありません。介護の目的は「たとえ心身に何らかの障害があったとしても、少しでもその人らしく、楽しく暮らしていくこと」ではないでしょうか。

 読者の中には、メガネをかけている人もいるでしょう。メガネは、視力に障害を持っている人が、その人らしく暮らしていくための介護器具とも言えるわけです。メガネを使っている人は、自分が介護されているという感覚はないと思います。メガネに遠慮することもありません。相手に心理的な負担を与えない、メガネのような介護が理想だと思います。

 介護というと物々しいのですが、介護をケアと言い換えれば、少し違った世界が見えてきます。私たちは、誰もが、他者からのケアなしでは生きていけない存在です。「介護はいつから始まりますか?」という質問を受けることがありますが、これもケアと言い換えれば「すでにあなたはケアをしている」と言えます。

 おむつ交換もケアですが、相手を元気づけるために会話をすることもケアです。愛し合う者同士が、ともに人生を楽しむこと自体も、お互いのことを思っているという意味で、ケアです。こうして、親などの介護について真剣に考えていること自体もまた、ケアの一形態でしょう。

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