
この視点から本書のメッセージを一言で伝えると、「システム2を駆動させないようにしよう」ということになる、と思う。例えば、あぶらっこいものを食べた後、競合ブランドと比較せず、すぐに「A社のお茶を飲まなければ」と思う人がいるとすれば、システム1に基づきブランドを選択しているといえる。靴ひもを結ぶかのように無意識で選ばれるブランドや商品は、顧客の心の中で強固なポジショニングを占め、そしてそれが結果として市場での競争優位につながっている。
イベントに登壇した星野リゾートのスタッフによると、BEBの場合、若者に気楽に旅行をしてもらうために、「居酒屋以上 旅未満」を掲げ、チェックアウトの時間に幅を持たせたり、スタッフの服装を私服にしたりするなどの工夫を取り入れているとのことだった。
コーポレート・ブランド・アイデンティティー・マトリックス
宍戸:若者が「皆で居酒屋に飲みに行く以上のことをしたいけど、旅行って程じゃない」と考えたとき、靴ひもを結ぶのと同じような感覚で「じゃあBEBだ」と、システム1で選んでもらうようにするための工夫が目立つ印象を受けた。
この点を理解するために、あまり知られていないが、最近私が注目する「コーポレート・ブランド・アイデンティティー・マトリックス」というフレームワークがある。これは2013年に発表されたもので、ブランドを「会社の顧客に対する約束」と捉えた上で、その約束を顧客に信じてもらうためにすべきことを、いろいろな角度から分析するのに役立つフレームワークだ。
例えば、約束を果たすと信じてもらうためには「パーソナリティー」、つまり「我々はどのようなキャラクターなのか」という要素が大切で、若者向けの施設なのにかちっとした服装だと信頼されない。人となりをどう見せるかについて、BEBでは私服を採用している。また、フレームワーク内の「表現(コミュニケーション)」の要素においては、言葉遣いは星野リゾートの他の施設に比べてカジュアルにしているという。
このフレームワークのポイントは、それぞれの要素の間に一貫性を持たせることだ。そして、一貫性はミッション、ビジョン、文化、コンピテンシーといったより深い部分にも及ぶことが重要だ。BEBの場合、スタッフが「今の若者のことを理解できてはいないところもある」と謙虚に認めた上で、開業後に宿泊している若者の行動を丁寧に観察し、それに基づき新たにスタートさせたサービスが人気を集めているという。このような謙虚さの中に、若者に「居酒屋以上 旅未満」の経験を提供するという約束を支える文化やコンピテンシーが顕著に表れていると感じた。顧客との間に信頼関係を構築しているからこそ、若者がシステム2を駆動させることなく無意識にBEBを選ぶようになっているのだろう。
4回のシリーズを終えて、星野リゾートのスタッフの働き方についてどんなことを感じましたか。
宍戸:ここでは 2020年に発表されたばかりのアッシュフォースらによる会社の「擬人化」についての論文を紹介したい。
会社で働く人は多かれ少なかれ、自分の会社を「擬人化」している。擬人化とは「うちの会社は腰が重い」や「攻撃的でケンカ好きな会社だ」といった、通常は人に対して利用する形容詞などの言葉を会社に対して用いることを意味する。そして、擬人化を通して、会社は、たとえ転職する人にとっても、人生の重要な時間を一緒に過ごすパートナーとして捉えられるようになっていく。