日本にいても豊かな経験はできますよね。なぜ、その実感ができないのでしょうか。

深澤氏:端的に言えば「幸せの測り方を知らない」ということです。日本社会では、働き方から娯楽まで仕組みの中に組み込まれていて、そうした枠組みを非常に欲しがる。

 サラリーマンとして生きる大体の骨格、たがの直径は初めから決まっています。この枠組みに入ればリスクは少なく、ある程度のことは保証される。この仕組みの中にいる限り、自分一人で世界の常識を新しく変える仕掛けを考えようなんて、思わないのではないでしょうか。

 最近は働き方改革や三六協定などで働き方も決められています。ここにも、幸せを奪っている側面があると思います。私は昔米国で仕事をしていました。当時は午後4時ごろになると仕事をおしまいにして、それから飲みに行くのが幸せでした。でも日本に帰ってくると、その時間に一番働きたいと思うのです。みんなが仕事をしている夕方から夜が一番燃えるし、クリエーティブになれる。しかし最近では、夜10時ごろになるとPCが閉じられ、電気が消されてしまう。働く楽しみ、創作活動の幸せが奪われてしまうのです。

 本当は、その時々や個人の考えで幸せの形はまるで違います。猛烈に走って仕事をするのも幸せの形でいいと思うのです。その瞬間の自分にとって「ああ、今自分はこれをやっているんだ」と実感できるものは何なのか。本来は、一人ひとりが繊細にキャッチしないと感じることはできません。それなのに、枠組みによって決められてしまっているから、自分で幸せを評価する方法が分からないのです。

 社会の根本的な豊かさのために何ができるか、という思考の下で動くためには、この枠組みの中から抜け出し、「何が自分を幸せにしているのか」という瞬間を自分で認識できなければなりません。お金をたくさん持っていて、銀座のクラブで飲み歩いていたら一番リッチかと言われたら、そうではありません。日常の中にある本当の幸せの瞬間をどう切り取れるか、些細なこと一つ一つに対して敏感になる必要があります 。

(写真:吉成 大輔)
(写真:吉成 大輔)

海外のプラットフォーマーが生活に新たな豊かさを生み出す一方、日本ではそうしたサービス領域で世界的なプラットフォーマーが育ちにくいように感じています。豊かさを実感できないこと以外に、どんなことが影響しているでしょうか。

深澤氏:一つは「規制」でしょう。日本はまず、「できない」というところから始まり、規制をつくって閉じてしまいます。スカイプにしてもウーバーにしても、やっぱり問題は発生します。それでも一度サービスを利用すると、どういった利点をもたらすのか経験として理解できる。そしてこのサービスが広がった未来が見えるようになるのです。まだ基準も規制もないうちにスタートアップで始めて、それで繁殖しているのが今勝っている人たちです。経験した人だけが、次の未来を想像できるのです。

 日本では、問題があったら「それはやはりできない」となってしまいます。少しでもトライすれば良さを実感できるのに、その小さなトライすらしない。石橋をコンコンとたたくけれど、渡らないのです。

豊かさを経験できない、経験できないから豊かさが分からない、豊かさが分からないから豊かさを生み出すビジネスを始められない…。この負のループから抜け出すヒントはどこにあるのでしょうか。

深澤氏:かつては生き方や生きざまの美学がありました。昔はみんなファウンダーで、戦後に起業した人たちばかりでした。だから、自分で成功したことを皆に還元しましょう、私たちの生き方はこうでなきゃ、という正義感や生きざまを持っていたのです。

 今は、自分が成功した後に何をしたいのかビジョンを描けている人が少ないように思います。成功することは、自分の豊かさを手に入れることとも言えますが、本当はその先に目的が必要です。

 これは企業のトップだけの話ではありません。普段、仕事で頑張っているときに「ああ、やったぜ」と幸せを感じても、現金を持ったときに息せき切って何か次の忙しさを探すのではいけないのです。私が一緒に仕事をしているヨーロッパのクライアントには、成功後にワイナリーを持っている人がたくさんいます。アメリカでは、ナパやソノマバレーなど自然豊かな場所に住んでいる人もいる。

 社会のために正義感で生きた後、自然の中に戻って生きるというのは彼らの美学を体現している気がします。「ああ、よかった」「がんばったな」と働くことが自分の生きがいやビジョンの中に組み込まれていて、何が幸せの形かを常に考えているのです。幸福へのキュリオシティーが非常に強いのだと思います。頑張ることと、その先の幸せと両方なきゃだめですよ。

 日本を称するとき、僕は「きちっとした国」だと言います。まじめさ、コツコツさ。これはどの国もマネできない素晴らしい美徳だと思います。そのことは全く否定しないけれど、自分の生き方を美学として考えていないように思います。コツコツの後に何をするのかが見えません。定年や老後という言葉で表されるような暮れ行くイメージしかないのです。自分の生活が最後まで美学にならないと、経済も途中で暮れていってしまいます。

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