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日本が再成長するための「この一手」を考えるシリーズ企画。今回はオリックスの宮内義彦シニア・チェアマンの提言です。宮内氏は、日本は決してやってはいけなかった「3つの経済政策のミス」を犯したことで、平成の30年間は「昭和の後始末」に時間がかかり「次の一手」を打てなかったと振り返ります。そして、これからの日本企業は、創造性を発揮する専門家集団になるべきだと主張します。

 宮内氏の提言を踏まえ、皆さんのご意見をお寄せください。

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オリックス 宮内義彦シニア・チェアマン(写真:村田和聡、以下同じ)

平成の30年間を振り返ると、おおむね「眠っていた」とか「やるべき課題を先送りしてきた」といった意見を多く聞きます。宮内さんは、どのように振り返りますか。

宮内義彦氏(オリックス シニア・チェアマン、以下、宮内氏):表現の違いかも分かりませんが、私は「昭和の後始末」にものすごく時間がかかってしまったのだと思います。だから、次の一手が打てなかった。

 戦後の輝かしい経済成長と、民主主義、平和主義によって非常に安定した社会をつくったのが昭和だと思います。特に経済でいうと、世界に冠たる国になったわけです。それがまさに、平成の訪れとともに崩れてしまった。いや、むしろ「崩してしまった」と言ったほうが適切かもしれません。

 日本は私の計算だとほぼ35年間、強烈な経済成長を続けました。欧米に比べて強烈なサクセスストーリーを経験したのですが、結局、そのサクセスストーリーは何事もなくても終わりに向かっていたのです。

何事もなくても?

宮内氏:平成になる前から、世界の製造基地としての覇権は中国に移っていました。そこにソ連が崩壊し、世界が1つのマーケットになってグローバル競争が始まりました。日本が勝ち組から負け組に転じようとしている、まさにそのときに、グローバル競争が始まったので、余計にインパクトが強かった。

 そこに、大きな政策ミスが重なりました。それが、バブル崩壊です。結局、日本の経済人も国民も政治家も、この事態についていけませんでした。

 政策ミスの1つは、バブルをつくったこと。何でつくってしまったかというと、貿易で日本が勝ち組だったときにプラザ合意のような強烈な外圧に屈したからです。その結果、内需振興と称して、金利を下げ、金融を緩和した。ところが、上がったのは株と不動産で、資産バブルをつくってしまいました。これが、経済政策の失敗の1つです。

 そしてある日、資産バブルが大変な状況になってしまっていることに気が付いた。そこで、これはいかんということで、バブルを潰したんです。バブルをつくったのが失敗なら、バブルを潰したのも失敗でした。

バブルを急激にはじけさせずに、もっとソフトランディングさせる道があったのではないか、ということですか。

宮内氏:ソフトランディングできたかどうかは分かりませんが、資産価格が上がってしまった以上、そこに合わせて経済を安定させることを考えないと仕方がないですよね。中国は今、日本の失敗に学んでそうしようとしているわけです。しかし、当時の日本の政策は善悪の判断が入ってしまいました。

資産バブルは悪だ、と考えた。

宮内氏:悪は潰さないといけないと考えたのです。しかし、結果を恐れて潰したけれど、元へは戻らなかった。それで、修復不可能な事態になってしまった。これが2つ目の失敗です。

 そして、3つ目の失敗は、バブルを潰した結果、金融システムが壊れてしまい、それを何とか立て直さないといけなかったのに、金融システムは壊れていないという認識の下に放置してしまった。そのため、雪だるま式に銀行の不良債権が大きくなり、放っておけば金融機関はほぼ全部潰れるという状況まで行ってしまったわけです。

 バブルがはじけたのは1991年ですが、金融システムにようやくメスが入ったのが1997~1998年。銀行が最終的に再編したのは2000年代に入ってからでした。遅れに遅れて不良債権を処理したのです。最終的に不良債権がどれくらい膨らんだのかは定かではないですが、100兆円に近いのではないでしょうか。それなのに、住専問題(住宅ローン専門のノンバンク=住宅金融専門会社の不良債権問題)の解決に6000億~7000億円を投じるのに、通常国会がほとんど潰れましたよね。誰も、現実を見たくなかったのです。

 この3つの失敗が重なって経済が修復不可能な状況になってしまい、失われた30年間になったのだと思います。

それが、平成は昭和の後始末をしていた、ということですね。

宮内氏:そうです。