BCGヘンダーソン研究所のマーティン・リーブス所長(写真:村田和聡、以下同)
リーブスさんは2001年まで10年以上、日本に住んでいたことがあるそうですが、当時、日本の将来をどのように予測していましたか。
マーティン・リーブス氏(BCGヘンダーソン研究所長、以下、リーブス氏):日本が直面している構造的な問題を考えれば、今の日本が置かれているよりもっと悪い状況になるのではないかと予測していました。経済成長をほとんどせず、人口は減少し、世界の主要国の中で最も高齢化が進み、しかも、世界の政治が分断されてきている中で貿易への依存度がとても高い……。そういう前提に立てば、将来予測はとても悪いものになります。
しかし、実際には日本経済はこうした逆境に耐えており、驚いています。成長率は低いですが、成長はしています。将来への悲観的ムードがありますが、他の先進諸国で見られるような社会の分断は起きていません。中国経済の減速によって業績が落ち込んでいる企業はありますが、大企業は破綻していません。日本経済は私が予測した状態や他の先進国と比べて、いい状態を保っています。
ただし、企業経営の視点に立つと、大きなチャレンジが立ちはだかっています。それは、全体として低成長の経済環境の中で、どうやって成長し続けるか、というものです。
日本企業が直面している課題は、多かれ少なかれ先進国の大企業が抱えている共通のものです。構造的な長期低迷や高齢化、そして新しい技術が次々と台頭してくる中では、将来を予測するのが非常に難しくなっています。
そうした状況で唯一、成長を可能にする原動力がイノベーションです。別の言い方をすれば、これまでのように成長市場に参入するといった安易な方法では、もはや持続的な成長ができなくなってきているのです。
特に日本の大企業についていえば、20年前、30年前と同じように、ハングリー精神や活力を取り戻すことができるかが課題でしょう。AI(人工知能)などデジタルテクノロジーの波に乗り遅れずにうまく活用できるか。事業計画を実行し、改善するだけではなく、想像力を豊かにできるか。いずれも大企業にとっては難しいチャレンジで、特に日本は人口減少や高齢化が他の国よりも速く進んでいるので、難易度は少し高いと思います。ただし、克服できるはずです。
日本は第2次大戦後に奇跡的な復興を遂げ、トヨタ自動車やソニーなど多くの世界的企業を輩出しました。しかしその後、多くの企業が惰性のような経営を続けてきました。これまでのやり方を踏襲していれば、将来への備えとしてキャッシュを生み出し続けられるというメリットがある一方、危機感が欠如するといったデメリットがあります。
「両利きの経営」ができているのは2%未満
日本企業は惰性のような経営をしてきたというのは、デービッド・アトキンソン氏や 上野千鶴子氏も指摘していました。リーブスさんは、こうした状況から、どのようにしたら抜け出せると考えていますか。
リーブス氏:私は事業戦略と生物学の重なる領域も研究していますが、進化というのは少しずつ常に変化し続けることで成し遂げられるものです。多くの突然変異は失敗するものですが、そうした小さな失敗の中から、生き延び発展する新たな種が誕生するのです。
そのような視点で企業経営も捉える必要があると思います。スタートアップは95%が失敗すると言われます。そのためスタートアップの経営者たちは常に危機感を抱きながら、キャッシュを生み出すビジネスモデルを見つけようと必死になっています。
一方、大企業の経営者はどうでしょうか。既存のビジネスモデルでキャッシュを生み出し続けていますから、新しい道を「探索(exploring)」することよりも、既存の事業や知識を「活用(exploiting)」して、キャッシュの生み出し方を改善、最適化していくことを重視しがちです。
問題は、そうした状況が続くと創業期にあったようなイノベーションを探索する能力が失われることです。一度、探索する能力が失われてしまうと、それを再び取り戻すことが極めて難しい。起業家精神に富む人材を大企業が引きつけることも、安定的なキャッシュフローを生み出すことに責任を負っているシニアマネジメントに危機感を抱かせることも、容易ではありません。その結果、既存の事業を破壊するようなイノベーションを自ら起こせない。まさにイノベーションのジレンマです。
しかし、イノベーションを起こしていかなければ、大企業はもはや成長できません。そのため私は、経営者には「両利きの経営」を実践するように提唱しています。
「両利きの経営」とは、既存のビジネスと、自らを再発明するような新しいビジネスを同時に実行することです。私たちの調査では、この両利きの経営を実践できている企業は、わずか2%未満でした。
2%未満ですか。新規事業には、多くの会社が取り組んでいると思いますが。
リーブス氏:具体的に言うと、2%未満というのは、市場の混乱期と安定期を通して業界平均を上回るパフォーマンスを恒常的に達成していた企業の割合です(1960から2011年の米上場企業を分析。株式時価総額の成長率を業界平均と比較。出所:『戦略にこそ「戦略」が必要だ』日本経済新聞出版社)。全く逆の対応が必要な事業環境になっても成長し続けられる企業かどうかは、両利きの経営を実践できているかどうかを測る指標になると考えています。
両利きの経営を実践できている企業の割合がこれほど少ないのは、両利きの経営に矛盾を内包する難しさがあるからです。既存のビジネスでは、効率や規律を重視し、突然変異を排除する必要があります。一方、新しいビジネスを成功させるには、突然変異を受け入れ、実験し、リスクを取り、効率は二の次に考えなければなりません。
どうしたら、二律背反の2つの戦略を同時にうまく実行できるのでしょうか。
企業レベルでは、大企業が起業家精神を維持し、既存のビジネスをしながら新しいビジネスを創造できる仕組みを作らなければなりません。経済全体では、ベンチャー、スタートアップを育成する仕組みが必要となります。
企業ごとの取り組みについて言えば、新しいビジネスを成功させるには、既存のビジネスから分離して別の組織に実行させるのが一般的です。その理由は、新規事業は既存事業を破壊するかもしれないからです。社内の権力構造を考慮しても、分離したほうがいいのは明確です。これまで収益の柱となってきた既存事業を担当している幹部は大きなリソースと権力を持っています。彼らには新規事業に多くのリソースや権限を与えようという動機がありません。放っておけば新規事業は潰され、新たな成長へ向かうチャンスを逸してしまいます。
ただ、難しさもあります。組織を分け過ぎると、既存組織のリソースをてこに、新規事業を拡大させることもできなくなります。また、新規事業が成長し始めたときに、再統合することも容易ではなくなります。こうした悩みは、日本企業だけのものではなく、世界共通です。
これまでも、「ポートフォリオ」という考え方がありました。現在のキャッシュの源泉となっている事業と、将来キャッシュを生み出す事業の両方をバランスよく経営するというものです。しかし、それぞれの事業を生半可にやるのでは十分ではありません。例えば売上高5兆円の事業が毎年1000億円規模で縮小していくとしましょう。穴埋めをするには、毎年1000億円規模で成長していく新たな事業を生み出さなければなりません。
新しいビジネスモデルは、おおよそ6割が失敗すると言われています。つまり、1000億円の減収を穴埋めするのに、1000億円規模の事業に育つ潜在力のあるビジネスモデルを3つ試す必要があります。そのような事業を偶然手にできるほど、世の中は甘くありません。相当な覚悟を持って、リソースを配分していく必要があるのです。
変革を成功させるうえで最も重要なのは「タイミング」
会社の変革を成功させるうえで、最も重要なことは何だと思いますか。
リーブス氏:最大の成功要因は、タイミングです。例えば、業績がいい会社を変革することは、一般的に容易ではありません。企業は必要に迫られたときにしか変革に乗り出さないものですが、多くの場合、それでは手遅れです。
成功するには先回りが必要です。しかし、それが難しい。なぜなら、経営のモノサシである業績数値は過去を測定する指標だからです。未来への備えにはなりません。「業績がいい」ということは、多くの場合、前任社長の経営が良かったからでしょう。破綻する直前に記録的な利益を計上する企業も少なくありません。
業績はもちろん重要ですが、企業が破綻してしまっては意味がありません。現在のように非常に浮き沈みの激しい時代には、自然界のように業績よりまず、生存戦略が重要なのです。実際、米国ではかつて70年ほどあった企業の平均寿命が、今ではその半分ほどにまで短くなっています。人類の寿命は延びているのに、企業の寿命はどんどん短くなっています。つまり、不安定な時代には、劇的な変化に耐えられるよう経営の弾性を高めなければならないのです。
「規模」より「学習速度」が競争力を左右
変化への対応力を企業が高めるには、何をしたらよいのでしょうか。
それには、多様性が欠かせません。変化に1つの方法でしか対処できないと、それがうまくいかなかったら死んでしまいます。ジェンダー、人種の多様性だけではなく、認識や経験で多様性のある人材を採用する必要があります。決して、全員に同じ考え方を強制してはなりません。
組織の構造を柔軟にし、学習速度をもっと上げる必要があります。今の組織の多くは100年以上前の社会学者、マックス・ウェーバーの時代から続く官僚的な組織です。ウェーバーは、「官僚制」をネガティブな意味で使ったのではなく、組織を効率的に運営する方法として考えていました。
官僚的な組織は、事業環境が安定的なときにはうまく機能します。アダム・スミスの「国富論」がピンの製造工場を例に示したように、分業を進めて労働者一人ひとりが仕事を分担し、全体としてより大きな仕事を成し遂げるというモデルは非常に効率的です。
しかし、変化の時代にはそうはいきません。組織には変化に対応する柔軟性が必要になります。そして、ものごとを俯瞰(ふかん)して総体的に学ぶことも必要になります。それには、部門の壁を取り払わなければなりません。
人間よりも技術がうまくやれることには、積極的に技術を活用すべきです。そのためには、技術に何ができるか、どんどん学習していかなければなりません。私たちはかつて、規模の大きさを競い合ってきました。規模が大きければ、様々なコストを下げられるからです。しかし、これからは規模ではなく、学習の速さを競い合うことになるでしょう。
学習の速さが競争力を左右するのは、技術分野だけではありません。市場の変化や顧客の変化を競合よりいかに速く学ぶことができるかが、これまで以上に重要になると思います。
最後に1つ、重要な視点を付け加えるとすれば、それが「エコシステム(生態系)」です。これまでは様々な資産や機能をどれだけ自社で抱え込めるかという競争でした。その点で、巨大企業ほど有利だったわけです。しかし、これからはすべてを自社で抱え込もうとするのではなく、多様な企業が集まってお互いの資産や機能を活用し合い、ともに成長していくエコシステムをどのように築いていくかという競争になるでしょう。全てを自社で抱えるよりも、変化に対する柔軟性を確保でき、リスクを減らすことができるからです。
私は、日本は闘争心を再び取り戻すことができると思います。冒頭にお話しした通り、人口減少などの大きな変化は始まっており、多くのビジネスパーソンはそれに気が付いています。リーダーや政策立案者が直面する課題をしっかりと議論すれば、国家レベルで危機感を醸成できるはずです。
リーブスさんは、異なる戦略や組織運営が求められる既存事業と新規事業の両方をうまく経営する「両利きの経営」が、これから重要になると指摘します。イノベーションを起こすためにオープンイノベーションなどによって新規事業を育成しようという企業が増えていますが、果たして、こうした取り組みを成功させるには何が必要でしょうか。
そこで、皆さんにもお聞きします。
「両利きの経営」を実践する上で、どのような課題と解決策があるでしょうか。
リーブスさんの意見を踏まえて、皆さんのご意見をお寄せください。
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