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「サブスク」という「罠」

ベストセラーの『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』が、様々なバイアスに惑わされず事実(ファクト)を正しく読み解く力を身に付ける大切さを示したとしたら、「逆タイムマシン経営」は、同時代性の罠にはまらず、世間にあふれる情報から本質を見いだし経営に生かす力を磨く思考訓練というわけですか。

楠木氏:そうです。現在進行形の同時代性の罠の例で考えると分かりやすいでしょう。最近、「サブスクリプション」というビジネスモデルが脚光を浴びています。「サブスク」はひとつのバズワードになった感があります。様々なサービスを、ウェブ上での月額課金など、いわゆる「購読料」モデルにして顧客をつかんでいくというモデルです。成功事例として、米アドビがよく取り上げられます。かつては画像編集ソフト「Photoshop」などのパッケージソフトを売り切りで販売していましたが、サブスクリプション型にビジネスモデルを移行して業績を伸ばしています。

 この例にならって、「これからはサブスクだ」「パッケージの売り切りはもう古い」などと言って、とにかくサブスクに移行しようという企業も少なくありません。

 これは同時代性の罠の典型です。メディアも専門家も、「時代はサブスクだ」と様々な成功事例を取り上げて解説しますよね。しかし、アドビが成功した本質はどこにあったのか。同社の戦略ストーリー全体を俯瞰(ふかん)して理解する必要があります。

 そもそもPhotoshopなど、クリエーターのコミュニティーで長期にわたって圧倒的に強いソフトウエアがありました。それを、より粘着性が高い仕事のツールとしてユーザーに使わせるための戦略ストーリーが、サブスク化に先行してありました。だからこそ、サブスクが成功した。ずっとPhotoshopを使ってきて、もう、それがないと仕事ができないという人がたくさんいる。ユーザー側のスイッチングコストが極めて高いわけです。そういう強力なタマがなければ、顧客をつなぎとめたままサブスクに移行できるわけがありません。

 Photoshopのような圧倒的に強いプロダクトがないまま、サブスクというバズワードに乗ってしまえばどうなるでしょうか。ちょっとの不満で解約され、他社のサービスに顧客が流出してしまいます。アドビのような増収増益どころか、減収減益になりかねない。

 これはごく一例です。逆タイムマシンに乗って近過去に遡れば、この手の愚行は過去に何度も繰り返されています。日経ビジネスの読者の皆さんでも、一定以上の年齢の方々は20年ほど前、インターネットが普及し始めた頃にどのようなことが言われていたか記憶にあると思います。当時、「インターネットは隕石(いんせき)だ」「すべてを変える」と大騒ぎになり、「スーパーマーケットがなくなる」「通勤もなくなる」「組織もなくなる」などとメディアも盛んに書きました。

 しかし、20数年後の現実はどうでしょうか。もちろん、インターネットは普及して生活もビジネスも大きく変えましたが、当時語られていた言説とは相当に異なるでしょう。

正しい意思決定を妨げる6つのトラップ

具体的には、どのような「同時代性の罠」があるのでしょうか。

楠木氏:杉浦さんと僕は今のところ、大きく分けて6つの罠=トラップに整理しています。

 1つ目が、「飛び道具トラップ」です。先ほどのサブスクのように、AIやIoTなど、流行の経営トレンドや「ベストプラクティス」と呼ばれるような最新の経営手法に飛びつくことです。主に、成長が鈍化していて「何とかして一発逆転したい」と思っている成熟企業の経営者が、トレンドやノウハウを過大評価してこの罠にはまる傾向があります。

 2つ目が、「激動期トラップ」。時代の変化を過剰に捉え、先取りし過ぎることです。「インターネット隕石論」もその好例でしょうが、現在進行形のテーマでいえば「女性活用」「自動運転」などもそうでしょう。

 3つ目が、「ランキングトラップ」です。「就職人気ランキング」や「すごい会社ランキング」などは、若いビジネスパーソンや就職活動中の大学生が真に受け、ランキングの上位を目指して飛びつきがちですが、企業や事業には栄枯盛衰があります。そもそもランキングは特定の尺度や次元を固定しての評価です。商売や経営の優劣は多元的なものです。ある一面を切り取ったランキングは一歩引いてみたほうがいい。

 4つ目が、「遠近歪曲(わいきょく)トラップ」です。古今東西、人間誰しも「遠いものほど良く見え、近いものほど粗が目につく」ものです。その結果として、時間的、空間的に遠い存在を過剰に美化するトラップが生まれます。現状に不満を抱くビジネスパーソンが陥りがちです。

 例えば、ITに関することであれば、シリコンバレーをなんでもすごいと思い込んだり、高度成長期の日本企業の在り方を「昔は良かった」というように考えたり。実際のところ、シリコンバレーの企業を精査すれば、ひどい会社もたくさんあるわけです。しかし、「今シリコンバレーで経営の悪い会社を知っているか?」と聞かれていくつも答えが出てくる人は少ない。反対に、欧米の人々は日本企業というといまだに「勤勉で秩序だっていて会社へのロイヤルティーが強く時間に正確でカイゼンに優れている」というイメージを持っている。日本企業のすべてがトヨタのような会社だと思い込むバイアスがある。時間的、空間的な遠近のゆがみが生まれがちです。

 5つ目が、「メトロノームトラップ」。これは、対照的な言説が周期的に行ったり来たりすることです。例えば、「水平分業」がもてはやされたあとは、必ず「垂直統合」が必要といわれ、しばらくたつとまた「水平分業」が重要という主張が出てくる。

 その時々で「アンバンドリング」とか「ディスアグリゲーション」とか「自前主義は是か非か」とか、いろいろとワーディングは変わるのですが、要するに垂直的な事業構造の統合度を高くするのか低く抑えるのかという問題です。この種のメトロノーム的右往左往は、大方のビジネスパーソンの戦略思考がいかに浅いかを示唆しています。経営や戦略に一般解はありません。それぞれの商売の文脈に置いてみて初めて、ことの是非や成否が決まるわけで、すべては特殊解。肝心の自社の商売についての理解が浅い、評論家的な発言の多いビジネスパーソンが惑わされがちなトラップです。

 そして6つ目が、「いつか来た道トラップ」。忘れた頃に同じ言説がゾンビのようによみがえる。忘れた頃にまた同じ話を繰り返すという罠で、「学歴不要」「ロボット失業」といった言説が典型です。こういう論調が出てきたときは「また始まった」と静観しつつ、その中でこれまでの言説との差分に注目し、どこにどの程度インパクトがあるのか、正体を見極めることが大切です。

 それでは、これらの罠が実際にどのように表れるのか、「逆タイムマシン」に乗って過去を訪れてみましょう。逆タイムマシンの運転手は杉浦さん。杉浦さんはパブリックになっている情報から独自に情報を収集し、特に重要な経営判断をした際の背景を「2020年以降の日本のビジネスパーソンに長期視点(社史)を供給する」ことを目標に研究し、その成果を「決断社史」で公開しています。