工場のような学校教育

 教育についても、正しいと考えられる方法はそれぞれのステージで違っていました。

 1つ目のヒエラルキーのある農耕社会に、学校はなく、子供は大人よりも劣っている存在だと捉えられていました。子供は自由に遊んでいたいと思うけれど、社会は子供に対しても、大人のように振る舞うべきだと考えていた。親の仕事は子供が社会に適用するよう、そして大人のように振る舞えるように育てること。そのためには暴力を振るってもいいとされてきました。

 学校制度はなく、特権階級の子供たちだけが、邸宅に教師を招いて教育を受けていました。

 公共教育が始まり、すべての子供が教育を受けられるようになったのは、19世紀に入ってからです。ただこのときも、学校は、まるで工場のように考えられていました。

 つまり学校は、子供に対する工場のようなもので、機械を製造するように、6歳になった子供を学校に入れ、教育を与えれば、みんなが同じレベルの知性を得るようになる。小学6年生はこのレベル、中学2年ならここまで、と。この学校という工場を通すと、最後には18歳の美しい成人が誕生します。そして、社会に出る準備を整えるのです。

 これまでの教育に対して、「そんな仕組みでいいの?」という疑問を持つ学校が世界各地で現れています。彼らは子供も社会も、1つの生命体として見ている。そしてこの生命体が成長するには何が必要なのかと考えだしているのです。

機械のように、子供を育てない

 私は幸いなことに、2人の子供たちを、モンテッソーリ教育を実践する学校に入れることができました。

 この学校では、子供たちを1つの生命体として見てくれます。6歳から12歳までの学生が同じクラスで過ごし、先生は画一的な教え方をすることがありません。

 教室の中には、いろいろな教科の学習教材があり、子供たちは学校に行くと、「今日は、私はこの気分」と学びたい教科を選びます。子供は1つの生命体で、何かを学び、何に興味を持ち、質問するのかを自分で選ぶことができるわけです。

 私の息子は現在9歳ですが、数学が得意で学校では11歳で学ぶレベルの内容を勉強しています。一方で、国語は苦手で、まだ6歳の教材を使っています。それでも問題ないんです。モンテッソーリでは、自分の準備が整ったときに、学ぶことが許される。

 学校で教える軸は2つしかありません。物事の決め方と、対立や葛藤の解消の仕方。それ以外の学びはすべて子供が自分のやりたいようにやっていく。

 機械のように子供を育ててきた価値観の人にとって、この教育方針は理解できないはずです。きちんと教育プランを作成し、カリキュラムを実践させ、テストで理解の度合いを図るべきだと考えているはずです。子供の自発性に委ねていたら先が見えないことも、不安に感じるでしょう。

 けれど、仮に私たちが子供の自発性に任せ、彼らが自分で発見し、学んでいく情熱を大切にすることができれば、きっと18歳になったときには、画一的な教育を受けた子供よりも、より多くのことを学んでいるはずです。

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