現在の議論のテーマ
屋台を盛り上げるにはどうすれば良いでしょうか。そしてそのアイデアは電気のない地域へどう展開できると思いますか。社会課題を見つけ、技術で解決してきたホンダ流のアイデア着想法を学びながら、一緒に考えてみましょう。

プログラムの進行予定

 お題は以下のように進んでいきます。2週間にわたって、皆さんの意見を募集します。

11月25日(月): お祭りで楽しみにしていることは何ですか。
11月27日(水): いま屋外で遊んでいて「不便だな」「あったら良いな」と思うことを教えて下さい。
11月28日(木): 実はいま挙がってきた日本の屋台で生かせるアイデアは「海外における電気のない場所でどう使えるのか」という話にも応用がききそうです。
12月2日(月): 電気がある生活の喜びをどうやって伝えますか。ぜひ考えてみてください。
12月4日(水): 皆さんのアイデアお聞かせください。
12月6日(金): まとめ

 ホンダといえば、二輪車や四輪車を思い浮かべる人が多いでしょう。二輪車を年間約2000万台、約530万台の四輪車を国内外で販売しています。2019年3月期の売上収益が15兆8886億円、営業利益は7263億円と製造業では屈指の規模に成長しました。

 実は、ホンダが最初に世に送り出したのは自転車の補助エンジンでした。創業者・本田宗一郎氏が1946年に旧陸軍が所有していた無線機の発電用エンジンと出会ったことが原点です。遠くへ買い出しに行く妻が楽になればという思いで、この発電機用エンジンを自転車の補助動力にすることを発案したのです。
参考URL:https://www.honda.co.jp/guide/history-digest/

創業者の本田宗一郎氏。「ないものを作れ」という考えをホンダに浸透させた(写真:Takeyoshi Tanuma / Getty Images)
創業者の本田宗一郎氏。「ないものを作れ」という考えをホンダに浸透させた(写真:Takeyoshi Tanuma / Getty Images)

 1948年には本田技研工業を設立した本田氏は常に世の中で技術がいかに役立つかを考えていました。自転車の補助エンジンの次にヒットしたのが、1959年に発売した耕うん機「F150」です。当時の農業の現場では女性の姿も目立つようになりました。女性を重労働から解放できないか。そんな発想から生まれたのが耕うん機だったのです。労働力不足に悩んでいた農家にとっては救世主となりました。
参考URL:https://ja.honda-powerproducts.com/history/

 1960年代には二輪車や四輪車へ進出し、皆さんにとってもなじみの深い企業となりました。これらの開発でも本田氏がメンバーを鼓舞してきた言葉が「ないものを作れ」でした。例えば当時世界一厳しく、どこのメーカーも達成することは不可能とまでいわれた排出ガス規制法(マスキー法)をホンダが最初にクリアできました。二輪車開発で高回転で高出力のエンジンを追求してきたことで、低公害エンジン技術の確立につながりました。
参考URL:https://www.honda.co.jp/50years-history/challenge/1972introducingthecvcc/index.html