サテライトオフィスはこの会社から始まった
神山町の名を全国に知らしめた「サテライトオフィス」はこの会社から始まった。Sansan。クラウド名刺管理サービスを手掛ける東京のITベンチャーである。
名刺管理サービスは世の中にいくつもある。その中でSansanが高い評価を得ているのは、その利便性によるところが大きい。
ユーザーの作業といえば、専用の機器で自分の名刺をスキャンするだけ。その後は同社のオペレーターが名刺情報を人力でデータ化していく。精度はほぼ100%。名刺情報はバラバラに分解されて複数のオペレーターに届くので、個人情報が漏洩する心配もない。
そうして集められた名刺情報はSansanのサーバーで管理され、顧客の組織内で共有される。
名刺検索はもちろんのこと、同僚や上司の人脈も検索ひとつで活用できる。公開された人事異動情報を調べる機能もついており、名刺情報も自動で更新される。しかも、名刺ではなく“人物”で管理しているため、同一人物の名前が別の会社で複数存在することはない。商談記録を名刺に直接書き込むことも可能だ。
「名刺は年に100億枚が流通していると言われている。これはつまり、100億回の出会いの証し。ぼくたちは便利な名刺管理ツールをつくりたいのではなく、ビジネスの出会いを資産に変えて働き方を革新するというその先の可能性に挑んでいる。スティーブ・ジョブズがアップルで成し遂げたように、世界を変える価値を生み出す。それがぼくたちの夢ですね」
同社を創業した社長の寺田親弘は力を込める。
顧客は法人で1500社、個人ユーザーで40万人を超えるなど、顧客管理やマーケティング、営業支援などに幅広く使われている。法人向け名刺管理サービスのシェアは約70%。同社は「営業を強くする名刺管理」というコピーを掲げているが、その言葉に嘘偽りはない。
そのSansanが神山にサテライトオフィスを設けたのは2010年10月のこと。その源流は、寺田が目にしたシリコンバレーの働き方にある。
大学卒業後、三井物産に入社した寺田は2001年にシリコンバレーに赴任した。三井物産が出資したベンチャー企業に送り込まれたのだ。ここで、寺田はシリコンバレーの働き方を目の当たりにする。
「向こうの連中はとにかくよく働くのに、端から見ているとあまりハードに見えない。なぜだろうと思ってみていると、シリコンバレーの環境と働き方が大きいと気づいた」
「『働き方の実験』というスタンスは変えない」
米国の西海岸に位置するシリコンバレーは自然豊かな土地柄。しかも、グーグルやフェイスブックが典型のように、働き方も時間の使い方も社員の裁量に任されている。あの豊かな自然と自由な働き方。それが、社員のゆとりや創造性に影響を与えている、と感じたのだ。
ところが、2002年に帰国してみると、多くのビジネスパーソンが満員電車に揺られて会社に行き、パソコンに向かって帰るだけの生活を送っていた。
「まさに、額に汗して、という日本の労働感を地でいく感じ。『それってどうなのよ』と思ったのがそもそもの始まりですね」
その後、2007年6月にSansan(当時の社名は三三)を創業した寺田は、名刺管理サービスの事業展開に奔走した。その中でも、シリコンバレー的な働き方を日本でも実現させたいという思いは頭の片隅にずっと残っていた。
それが、「神山ラボ」という形に昇華したのは全くの偶然だった。
Sansanが古民家を借りる少し前、トム・ヴィンセントが神山温泉そばの古民家を改修、「ブルーベアオフィス神山」を開いた。トムは1990年代半ばからウェブのデザインコンサルティングを手掛けてきたクリエイターで、現在は日本のいいモノや面白いモノを世界に発信するトノループネットワークスの代表を務めている。グリーンバレーが進めるワーク・イン・レジデンスに共鳴したことがスタジオづくりのきっかけだった。
この時、設計を担当した建築家グループの中に寺田の高校・大学時代の同級生、須磨一清がいた。
須磨自身、神山とは縁もゆかりもなかったが、ニューヨークでともに働いた坂東幸輔が徳島県出身で、その縁で神山を訪れた。そして、その自然環境やコミュニティーに驚嘆した須磨は飲み仲間の寺田に詳細を伝える。彼の話を聞いて興味を持った寺田は即座に神山を訪問、「新しい働き方を実践できる」と神山ラボの開設を即断した。グリーンバレーが紹介した物件は築70年を超えた古民家だった(口絵参照)。
「自然もあるし、IT環境もいいし、グリーンバレーの人たちは面白いし。サテライトには申し分ないと思いましたね」
神山が気に入ったのはグリーンバレーの雰囲気もある。
神山ラボの設立前、寺田は理事長の大南信也に言った。
「ここにラボをつくる以上はビジネスだけでなく、できる限り地域に貢献したいと思います」
地域に進出するのだから至極当然の言葉である。
ところが、大南は意外なことを口にした。
「そんなことは構いませんので、本業が成り立つことを証明してくれればエエよ。無理はせず、あくまでも経済合理性で判断してください」
寺田は長身痩躯のイケメンで、一見すると数字と論理を重視するドライな人間に映る。だが、一皮めくれば社員思いで内にアツイものを秘めている。創業経営者として公私の区別を厳格に意識しているがゆえに、必要以上に合理的に振る舞っているという面も少なくない。
この時も、寺田が気にしたのは、神山ラボの設立が社長の道楽に思われるのではないか、ということだった。
寺田にとって神山ラボは新しい働き方を実践する実験場であって社業そのもの。だが、そこに「私」を持ち込むと、神山ラボの位置づけが曖昧になってしまう。そう考えた寺田は、家族をラボに連れてくることも控えていた。
そういう人物だけに、「経済合理性で判断してほしい」という大南の言葉は心に刺さった。
「(サテライトで移ってきた)ほかの皆さんは大きな決断をして移ってきている印象ですが、ぼくに覚悟なんてものはありません。改修には大してカネはかけていないし、社員の生産性の面で悪影響が出ればいつでもやめる。地域との交流もそれぞれの社員に任せていて、会社として何かするつもりも今はない。いろいろ意見はあるかもしれませんが、『働き方の実験』というスタンスは変えないようにしたい」
それから3年。神山ラボは少しずつ回転を始めた。
当初はお湯が出ず、トイレはくみ取り式だった。「毛布をかぶって仕事をしていましたね」とある社員が振り返るように、暖房器具もなく、冬場はキーボードを打つ手が震えた。環境が過酷なだけに、初めのうちは田舎好きの社員がスポットで訪れる程度にすぎなかった。
だが、徐々に手を入れたことで職場環境も改善、今ではエンジニアやプログラマーなど場所を問わずに働ける職種が頻繁に訪れるようになった。パフォーマンスは人によって違うが、神山ラボで目立って生産性が落ちることはない。寺田も言う。
「中にはパフォーマンスが上がる社員もいますが、重要なのは生産性が下がらないこと。パフォーマンスが下がるのであればやめようという話になってしまうので」
最近では、遠隔ワークが難しいとされてきた営業部隊も神山で働き始めた。
「作戦を考える時は神山ラボが一番」
先ほど述べたように、エンジニアなど開発部隊は遠隔ワークが常態化しているが、顧客訪問やプレゼンテーションが求められる営業担当者は東京オフィスで仕事をすることが当たり前と考えられていた。だが、オンライン営業の仕組みを構築したことで、遠く離れた神山での営業活動が実現している。
実は、Sansanは2012年11月に、営業担当者による顧客訪問を部長決裁にした。そのココロは、オンラインで顧客を獲得する「会わない営業」を徹底させるため。現に、受注の7割はオンライン経由になっている。顧客訪問の件数が増えたことで、受注率も倍近く伸びたという。
同社のオンライン営業の仕組みは至ってシンプルで、テレビCMやウェブサイトの顧客事例を見て問い合わせた顧客に対して、オンラインのコミュニケーションツールを用いて商談するというものだ。
具体的には、問い合わせにコールバックして打ち合わせの日時を設定、あるURLをメールで送る。そして、打ち合わせの時間に顧客がURLをクリックすると画面が立ち上がり、リアルタイムで営業担当者やプレゼン資料が映し出される。会話自体は電話である。
オンライン営業を本格化させたきっかけは地方在住の顧客とのやり取りだった。
会社の知名度が向上するにつれて、地方企業の問い合わせが増えた。ただ、Sansanの拠点は東京であり、毎回訪問できるわけではない。そこで、資料一式を送った後にスカイプでやり取りしたところ、意外にも受注に結びついた。会わなくても売れる──。それに気づいたSansanはオンライン営業に舵を切った。
「ぼくたち営業は数字を負っているので、オンライン営業への移行はかなり勇気がいりました。会えば、顧客の顔を見ながらいろいろと手を打てるけど、オンラインでは対面営業のノウハウはあまり役に立たない。わざわざオンラインにして受注が減ったらどうするのか、と。ただ、問い合わせ件数が増えて既存の人員では回らなくなっていたので思い切って試してみました」
営業部長の加藤容輔は打ち明ける。
そして、翌月の12月、加藤はふたりの営業担当者を神山ラボに送り込んだ。この1カ月で構築したオンライン営業の仕組みをさらにブラッシュアップするためだ。この時に作った仕組みとノウハウを営業部隊はフル活用している。
対面営業を重視している顧客はもちろんいるので、そういう場合は訪問しているが、その比率はどんどん低くなっている。「対面での挨拶が誠意の証し」というカルチャーが変われば、場所を問わない働き方は一気に進むだろう。営業がリモートで成立する以上、神山でできない仕事はもはやない。
また、「合宿」の増加も神山ラボが産み落とした成果と言っていいだろう。
神山ラボには毎月のように東京の社員が訪れる。経営戦略を考えるために、寺田自身が幹部と来ることもしばしばだ。2012年以降は新入社員研修もここ。2013年12月に取材で訪ねた時も、加藤のチームが合宿で来ていた。
「ここに来ると、頭の中のフレームが外れるのか、いろいろなアイデアが出るんですよ。川の中に足を入れて打ち合わせをしたり、山の中を歩いて議論したり……。作戦を考える時は神山ラボが一番ですね」
そう加藤が語るように、自然豊かな神山の環境が頭の切り替えに役立っているのは間違いない。ただ、それ以上に「合宿」という集団生活の効果に価値を見いだしている。
かつての日本企業は家族主義的な傾向が強く、旅行に運動会にと共同体の一員ということを意識する場はいくつもあった。だが、1990年代半ば以降、アメリカ流の合理的経営が浸透したことで、社員同士の紐帯は弱まりつつある。
過去の日本的経営を懐かしむつもりはないが、日本企業の強みは現場のチーム力にあり、そのチーム力は互いの共有で成り立っている。職場の雑談からアイデアが生まれるのもよくあること。職場の“分断”が進む中で失ったものは少なくない。
「合宿の何がいいって、仕事以外の会話が増えるのでメンバーの考え方や仕事にかける思いが見えるんですよ。これは仕事を通したコミュニケーションだけでは得られない」
と加藤は言う。今の時代は仕事とプライベートを切り分けることが当たり前だが、チームのパフォーマンスという面で考えれば、大部屋で顔を突き合わせて雑魚寝することはムダではない。少なくともSansanはポジティブに捉えている。
未来の働き方に対するひとつの解答
神山ラボは今、新しいフェーズに移りつつある。移住者まで登場するようになったのだ。
エンジニアの團洋一。「うちのエースエンジニア」と寺田が言うように、名刺管理サービスの構築で中心的な役割を果たした人物だ。2013年11月に妻の七穂と下分の古民家に移住した。
直接のきっかけは体調不良である。高校までは徳島市、大学時代は岡山県と地方都市で過ごした團にとって、東京の満員電車はストレス以外の何物でもなく、たびたび胃腸を壊していた。通勤途中で腹を下すのが怖く、朝ごはんも食べられなかったほどだ。
「そろそろ限界かな」
そう感じた團は神山への移住を寺田に打診した。受け入れられなければ転職も視野に入れていた。だが、
「いいんじゃない。行けば」
とふたつ返事でOKだった。
團自身、神山にはラボ開設直後も含めて3回訪れており、静かな自然環境が気に入っていた。東京出身の七穂も田舎暮らしに憧れていた。一方の寺田は、團が場所を問わずしっかりと成果を出す人間だと知っている。團の“転勤”を断る理由はどこにもなかった。
「團の仕事ぶりは知っているので、彼なら大丈夫かな、と。別に移住を期待してラボをつくったわけではありませんが、言ってきてくれた時はうれしかったですね」
團は今、神山ラボまで8㎞の道のりを自転車で往復している。ストレス性の胃腸炎も収まったようで、体調は悪くない。七穂も近所の野菜名人に教えを請うて、裏の畑で野菜づくりを始めた。「地域になじもうとしているし、あの子らはいいと思うわ」となんでも屋の松浦ひろみが言うように、集落の評価も高い。
「いろいろとお話ししましたが、何と言っても行った社員が元気になって帰ってくる。そういうのがすごくいいよね」
と寺田は言う。詰まるところ企業は人。ITなどツールも重要だが、前向きに働く社員の気持ちがすべての前提である。東京と神山を組み合わせて生産性を高めるSansanの実験──。未来の働き方に対するひとつの解答である。