「今年の芋は豊作。霧島酒造にも実りの秋になる。われわれは地域とともに歩む。そして、前人未踏の5200万本(1升瓶換算)の販売を目指す」

 2014年10月。全社員を集めた朝礼の場で、社長の江夏順行が拳を高く上げながら力強く語った。

 この数字は、最盛時の三和酒類の販売量を追い抜くことを意味する。2012年に売上高は上回ったが、数量でもライバルを凌駕することを第1の目標に掲げる。2016年に創業100周年を迎えるにあたり、順行は「焼酎を真の国酒にする」と誓い、専務の拓三も「謙虚におごらずに進む」と続けた。

霧島でしか造れないストーリーを大事に

 順行は「今後もブランド価値を上げる。企業が大きくなると、いかにそれを守るかを時に考え始める。それでは意味がない。私の目標は、スーパーブランドをつくることだ」と語る。

 ブランド向上には、一つの近道しかないと考えている。地域性をひたすら磨く作業だ。例えば、スコットランドのアイラ島にはスコッチ・ウイスキーがあり、フランスのボルドーにはボルドーワインがある。海沿いで作る泥炭(ピート)がスコッチに独特の燻した香りをもたらし、地域の良質なブドウが芳醇なワインを生み出す。

 宮崎県産でも、鹿児島県産でもない。順行は「霧島の地方でしか造れないというストーリーを、もっと大事にしなければいけない。人間は地域から脱することができない。伝統と文化をきちんと踏まえ、それに立脚してイノベーションを起こす」と強調する。

 天孫降臨の地である霧島。長い時をかけて国土と自然が育まれた。火山活動を繰り返し、次第に水はけの良いシラス台地が誕生する。そこに山から流れ出た雨が溜まり、焼酎造りに欠かせない水を生む──。

 その水と地域の農産物、盆地独特の気候で造るから、霧島酒造にしか製造できない黒霧島を世の中に提供できる。順行は「そもそも、われわれの会社は日本発祥の地である霧島から生まれた。古来の気候や文化に育まれ、日本特有の蒸留酒が地元に存在する。その価値を磨けば、国酒になる」と力を込める。

 日本経済新聞が公表する「企業ブランド調査」では、キユーピーやカゴメが上位常連企業として名を連ねる。キユーピーは品質のモットーとして「良い製品は良い原料からしかできない」とうたい、その理念を昔から徹底している。

 マヨネーズに使用する油は「キユーピースペック」と呼ばれる厳しい基準に基づき、品質と製造工程をチェックする。卵も、養鶏場に「鶏卵品質企画書」の提出を求め、飼料、飲料水の履歴、採卵の頻度などに目を光らせる。製造日から原料メーカーの情報をすべて管理し、品質向上に努める。

 その結果として、順行は「キユーピーのマヨネーズやカゴメのトマトが業界の1番になり、消費者の8割がナンバーワンブランドを選ぶという調査もある。こうした強者の戦略を霧島酒造も採らなければいけない」と指摘する。

ナンバーワンブランドとして進むべき道

 ナンバーワンブランドだからこそ、進む道があると信じている。同じ飲料業界では、伊藤園に注目する。連結の売上高は4000億円を超える。畑、茶葉、製法にこだわり、ペットボトル商品「お~いお茶」の銘柄を「緑茶」や「濃い味」と複数展開することで、ブランド価値を高めた。絶対的な焼酎業界の王者──。これが霧島酒造の目標とする最終的な形だ。

 その道程をこう描いている。

 一つ目は販売戦略である。地区別では東京の売り上げ比率が最大になり、首都圏は足元で二桁の伸びが続く。かつて東京の販売量は年間10万本程度(1升瓶換算)に低迷していたが、今は1~2日間でその数量が捌ける。専務の江夏拓三は「売り上げの比率が逆転した。東京は福岡の10倍程度の経済力がある。人口も多い。ここが伸びると、会社にとってものすごいことが起きる」と期待感を隠せない。

 東京支店の営業二部長の中村泰治は「霧島酒造の寡占化が進んでいる一面がある。販売チャネルをさらに広げたい」と意欲を示す。

 2014年夏には、イトーヨーカドーの埼玉県川口店と千葉県蘇我店の2店舗で、酒売り場の棚の全段に霧島酒造の焼酎がずらりと並んだ。銘柄数は黒霧島など12品目に上った。まさしく売り場を占拠している状態だ。

 予算と実績の関係を見ると、大手スーパーマーケットなど50社の売上高は、前年比で概ね2割前後伸びている。従って、売り手も霧島酒造の商品を扱う。中村は「2015年から3カ年で、首都圏の焼酎市場を大きくする」と鼻息が荒い。

 特に重点的な経営戦略は東京から北の地域をどう伸ばすかだ。首都圏や東北では、三和酒類の「いいちこ」に販売シェアで劣る地域がなお点在する。まずはそれらの場所が、販売強化のポイントになる。

 東北でも宮城県や青森県のシェアは2割を超えるが、山形県や福島県は1割に満たない。中村は「首都圏は東京での認知度が高まったが、少し地方に行くと知られていない所も存在する。東京から北は焼酎にとって未成熟な市場のため、伸びしろが十分ある」と語る。営業マンの人員を手厚くし、それぞれの地域を開拓する考えだ。

 例年、青森県では仙台の駐在員がねぶた祭りに参加している。地域の七夕祭が発展し、多いときには数百万人の観客が訪れる。終了後の打ち上げに集まる人々の数は、数百人規模に達する。霧島酒造の社員にとっては焼酎をPRする絶好の機会になる。

 北海道には、東京支店の営業マンの吉野晃一が2~3カ月に1度の割合で訪問する。まずは札幌、函館、旭川などの都市圏を対象に、飲食店を中心とする業務用の営業に力を入れる。吉野は「北海道では酎ハイなどの甲類焼酎と芋焼酎などの乙類焼酎の割合が8対2。まだまだ酎ハイやサワーが好まれる。裏を返せば、芋焼酎を広める余地がある」と見ている。寒い北海道では、お湯割りが受けるという。

北海道でも固定客が増える公算大

 北海道でも一度芋焼酎を飲み始めた人は、固定客になる公算が大きい。それは、千歳地域で実証済みだ。

 千歳は、宮崎県都城市から北東に1500キロメートル離れている。航空自衛隊と陸上自衛隊があり、九州出身者が多数住んでいる。幸町、清水町、千代田町といった繁華街では自衛隊員の姿をよく見かける。

 2014年10月下旬、新千歳空港から車で15分ほど走ると、幸町の「ダイニングはるか」に着いた。

 和食と洋食の創作料理を提供する店で、焼酎を数多く揃えている。メニューには芋焼酎が10種類あり、定番商品として黒霧島と赤霧島もある。入り口のすぐ脇にある棚では、黒霧島のキープボトルが7割を占める。カウンター席に座った地元の男性は「とりあえず焼酎ちょうだい。まだ、残っていたよね」と慣れた素振りで注文し、ロックでおいしそうに飲み干した。

 この地区にある飲食店の若女将は「基地の町である千歳には、九州から来た入隊1年目の隊員も多いと聞いています。千歳に移住する人もおり、焼酎文化が定着したみたいです。うちは9年前に開店しましたが、焼酎の品揃えには気を配っています。黒霧島が圧倒的に人気ですね」と街の飲酒事情を語る。

 清水町のスナック街には、やや寂れたジャズバー「アニタ」がある。軽快な音楽が流れる店内で、黒霧島のお湯割りのグラスを傾ける客が少なくない。10月下旬の北海道は、気温が夜には氷点下に近づく寒さだ。

 女性の店員は「黒霧島の人気が群を抜いています。置き場がないため、カウンターの下にもスペースを設け、ボトルを置いている状況です。焼酎は単価が安い一方で、飲まれる頻度が高いので回転率が速くて助かります」と話す。営業次第では、こうした店舗が北海道の他の地域にも広がりそうだ。

 中村は「東京から北の県でも点を面にする作業は大体終わった。後はそこのパイプを地域ごとにどう太くするかが課題になる。東北6県、北海道をこれからかさ上げする」と話す。

シロキリ、クロキリ、アカキリの3本の矢

 二つ目の戦略は商品の多角化だ。

 2015年1月。霧島酒造は大相撲の優勝力士である横綱白鵬をCMに起用し、芋焼酎「白霧島」をリニューアル商品として発売した。初代吉助の時代から続く定番商品の芋焼酎「霧島」の風味を改良し、都会向けにロックでも飲めるよう調整した。使用する酵母を変え、コクと甘味を高めた。

 白鵬の地元モンゴルでCMを撮影し、白霧島のキャッチコピーは「どしっとほわんと」に決めた。都内で開いた商品発表の場で、白鵬は「宮崎の焼酎は全部好きですけど、白霧島は特に飲みやすいです。皆さんにも味わっていただきたい」と持ち上げ、専務の拓三と乾杯してうまそうに啜った。

 地元宮崎では霧島はかねてから「シロキリ」の愛称で通っている。過去、数量の関係で東京では拡販ができなかったが、リニューアルを機に商品名も白霧島に変更した。生産体制が整った今、白霧島(シロキリ)、黒霧島(クロキリ)、赤霧島(アカキリ)の「3本の矢」が用意できた。2012年末のアベノミクス以降、景気が緩やかに回復する中、焼酎前線をさらに北上させる。

 営業統括常務の坂口和幸は「焼酎業界全体では踊り場の状態にある中、流通筋からは白霧島の商品が評価された。品質の評判も良い。地元で飲まれてきた商品を東京や大阪にも広めたい」と意気込む。インターネット上などで希少価値が高いとされる赤霧島も増産し、大都市での流通量を増やす。

 香りを嗅ぎ、口に含み、舌の上でころがし、味を確かめる──。実は、赤霧島は入社3年目の女性ブレンダーが風味を管理している。外村舞だ。

 山口県の大学を卒業し、2012年に入社した。きっかけは会社説明会の場でブレンド業務の紹介があったことだ。グラスに芋焼酎、麦焼酎、米焼酎、ソバ焼酎の4種類が注がれた。それぞれの原料を言い当てる簡単なテストがあり、100人を超える学生の中に正解者はほとんどいなかったが、外村はすべての銘柄を正確に答えることができた。その瞬間に「これは面白い。お酒は好きだし、モノを造る仕事に興味がある。チャレンジしてみよう」とブレンダーを希望し、霧島酒造の面接に臨んだ。

 ある役員から「ブレンダーにとって、大切な資質はなんだと思う?」と予想外に難しい質問が出された。

 外村は新しい商品を開発することが肝要と考えて「トレンドを取り入れる力だと思います」と答えたが、その役員は「取り入れるのではなく、発信する力の方が大切なんじゃないか」と切り返した。学生の未熟さを感じた外村だが、こうした社員に囲まれた環境に身を置けば、必ず勉強になるだろうと入社を決めた。

 希望通りに2年目からブレンド業務を本格的にスタートさせた。狭い検定室はアルコールの香りが充満している。最初は「こんな場所で私に仕事ができるかしら」と不安になったが、先輩の背中を見ながら必死に調合の勉強を続けた。

 自分の身体に理想の風味を記憶させ、幾つかの焼酎を混ぜて再現する。当初は調合に2日かかる日も珍しくなかったが、今では半日もかからない。赤霧島を中心に、多い日は30種類の利き酒を行う。外村は「やりたかった仕事だし、毎日がとても楽しい」と充実した表情を見せる。

 お酒はもともと飲める口だ。体調が良ければ、焼酎なら1日に1升瓶の半分は飲み干せる。ただ、ブレンダーの仕事を始めてから、平日の飲酒はなるべく控えている。翌日に舌の感度が鈍る恐れがあるためだ。

 外村の好きな焼酎は「キレがあり、甘味もある」という風味。自社の製品を十数種類並べても、それぞれがどの銘柄かも分かるようになった。

焼酎はもっと女性に飲んでもらえる

 外村は「焼酎はもっと女性に飲んでもらえる可能性があると思う。一般的に女性の方が男性よりも味覚や嗅覚が鋭いといわれる。自分で最初から商品化に携わり、消費者に喜んでもらえる焼酎を提供したい」と目を輝かせる。

 外村を一人前に育て上げたのが、酒質管理部ブレンダー課で係長を務める上瀧正智だ。

 30:22:32:16──。作業服に身を包み、上瀧は真剣な表情で日誌に数字を書き込んでいた。複雑な連立方程式のような数値の羅列。これが製造後に貯蔵した複数の焼酎タンクを、どのような割合で混ぜ合わせるかを示した門外不出のブレンド比率になる。

 日誌には風味の評価も事細かに記す。その項目は「甘味」「丸味」「苦味」「辛味」「渋味」といった18分野に上る。蒸留後の原酒にそれぞれ7段階の評点をつけ、どのタンクを混ぜ合わせるのが最適かを判断する。

 なぜ、こんな面倒な作業を行うのか。

 上瀧は会社の屋台骨である黒霧島の調合を担当している。霧島酒造は増産を進めた結果、現在4つの工場を保有している。各工場で同じ原料と水を使っているものの、場所によって風味が多少異なる焼酎ができる。これを「蔵癖」と呼ぶ。

 例えば、本社工場は味わいのしっかりとした原酒となり、少し離れた場所の工場では軽快な風味に仕上がる。上瀧は「複数の原酒をうまく調合することで高い品質の風味を目指している」と話す。

 霧島酒造の焼酎貯蔵タンクは、300キロリットル級が約160本ある。黒霧島はそのうち10本以上のタンクを最初に選抜したうえ、それらを数本ずつにまとめて4~5組に分けて調合を行う。毎日、気を張り詰めた作業が続く。

 仮に4つのタンクを混ぜるのであれば、まずはそのうち二つの調合から始める。標準的な黒霧島の風味を頭に意識しながら、どれくらいの割合で混ぜればよいか、均衡点を探り当てる。

 例えば、最初は「10:90」の割合を試し、次に「20:80」、その次に「30:70」と続けていく。この作業で、概ね「40:60」が適当と判断できても、作業はまだ終わらない。次のステップは「41:59」「42:58」「43:57」といった具合に、1%単位での調整を進める。自分の味覚と嗅覚を頼りに黄金比率を見いだす。

 2つの調合が済むと、それを基に残り2つのタンクについても同じ作業を繰り返す。そして、ようやく黒霧島が誕生する。ブレンダーが少数のサンプルから調合比率を決め、その割合に基づいて実際に大きなタンクの焼酎を混ぜ合わせる。

 上瀧は「原酒にそれぞれ個性があるため、今も悩むことがある。単に混ぜ合わせて済む作業ではなく、バランスの良い商品を造るために微妙な差異を突き詰めないといけない」とブレンドの難しさを吐露する。

 味覚や嗅覚を研ぎすますため、昼食にカレーを食べたり、甘いものを口にしたりするのは控える。作業服の洗濯でも、香りが強い柔軟剤を避けるなど気遣いが欠かせない。

 だからこそ、高い品質の黒霧島を世の中に提供できる。杜氏制を廃止し、焼酎業界で他社に先駆けてブレンド業務を取り入れたのが、先代社長の江夏順吉である。順吉が生涯目指した「あまみ、うまみ、まるみ」の風味が昇華された格好だ。世代交代後も、品質へのこだわりは着実に受け継がれている。

ある中国人社員の数奇な物語

 2014年6月。霧島酒造は新しい芋焼酎「茜霧島(アカネキリシマ)」を発売した。原料に珍しいオレンジ芋「タマアカネ」を使い、フルーティーな味わいを実現した。オレンジやピンクの鮮やかなラベルを張り、女性の消費者を意識した商品になっている。数量が限られるため、まだ首都圏ではあまり見かけないが、静かな話題を呼ぶ。

 開発したのは、一人の中国人女性だ。名前は章超という。9年の時をかけて地道に造り上げた。

 章は中国の黒竜江省出身である。幼少時は北京で育った。数奇な運命の糸が絡み合い、宮崎県の都城市にたどり着いた。

 章は中国の眼科で医者をしていた。病院に勤めたが、職位を上げるために学校で学び直そうと思い付く。

 たまたま、従兄弟が日本に住んでおり、九州大学の博士課程に進むことにした。当時、日本語は一言も知らなかった。運良く、大学病院の知り合いから、九州大学を紹介してもらった。

 ところが、日本に着くと不運が襲う。試験の当日、福岡県で交通事故に遭ったのだ。そのまま半年間の入院生活を強いられ、手の感覚を失う。首の捻挫から神経を損傷した。章は「私の人生は一体何なのかしら。手が動かないから、もう医者には戻れない」と自分の運命を異国の地で呪った。

 退院間際に、病院から「鹿児島大学で勉強しないか」との誘いを受けた。当然だが、鹿児島県に行ったことはない。半ば自暴自棄に陥っていたが、その誘いに身を委ねるしか選択肢はなかった。

 4年間勉強し、2002年に鹿児島大学農学部を卒業した。幸いにも手の感覚が戻った。中国に帰り、再び医者として働こうと決意した。鹿児島市内の借家を整理し、電化製品は後輩の学生にあげた。帰国準備が整った。

 が、またもや不運に見舞われる。中国でSARS(重症急性呼吸器症候群)が発生したのだ。中国の家族と相談し、帰国をしばらく見送った。やることがなく、仕方がないので昔のアルバイト先のソバ店で働いた。

 鹿児島市内の繁華街にある「新太郎そば」。章は鍋料理を平らげたテーブルのお客さんに「ソバとうどんのどちらがいいですか?」と聞いたところ、一人の男性に「あなたは日本の人ではありませんね」と話しかけられた。霧島酒造専務の拓三だった。

 拓三は中国のお酒に関する短い話題を振り、会計を終えて帰った。数日後、章の携帯電話に留守番電話のメッセージの表示がある。見慣れない番号から着信が残っている。誰だろうかと再生すると、穏やかな声が聞こえた。

 「先日会った江夏拓三です。もし良かったら、うちに一度来て、焼酎の研究をしてみませんか」。章は驚いた。

 拓三は食事の会計時に、章が以前、鹿児島の焼酎メーカーで研究開発をしていた経験をたまたま耳にした。店主に頼み、章の連絡先を聞き出した。

 章は拓三の残したメッセージの声が優しかったため、「悪い人ではないかもしれない。一度都城に行ってみよう」と車で出かけた。章は山道を運転し、「なんで私は宮崎県に向かっているんだろう」と、自分の行動が少しおかしくも思えた。

 章は拓三と再会し、芋焼酎の製造後に残るカスの成分を研究していたことを話した。拓三は「やはりうちで働きませんか」と申し出た。章は少し悩んだが、思い切って入社を決めた。2003年4月、研究開発部の所属になる。

 霧島酒造は1991年から九州沖縄農業研究センターと連携している。新しい焼酎を開発するため、いろいろな品種の芋について研究を始めた。この組織は独立行政法人の農業・食品産業技術総合研究機構の傘下にある。温暖な気候を特徴とする九州と沖縄で、一次産業の振興を図っている。消費者のニーズに応えるための技術開発も一つの柱だ。

 6つの研究拠点を持つが、そのうち一つが都城にある。都城ではサツマイモの品種改良に力を入れる。霧島酒造は新しい品種を譲り受け、焼酎の生産に適しているかどうかを見極める。

 芋の品種が変われば、風味が変わる。通常の芋焼酎では「黄金千貫」が使われるが、革新的な商品開発には原料の選別が最も重要になる。毎年、新しい品種を秋に譲り受け、実際に試験製造してモノになるかを考える。焼酎は仕込んでみないと風味が分からない。多い年は10種類ほどテストする。

 霧島酒造は拓三の下で、約20年前から製造企画会議の運営を始めた。製造担当者やブレンダーが集まり、新しい品種で造った焼酎の風味を評価する。ここで有望な品種と見なされると、新商品を造る本格的な研究にゴーサインが出るのだ。

オレンジ色をした新品種の芋

 章は研究センターでの研修後、社内で有望な品種を探し出す担当についた。2005年11月、ジャガイモのような新しい品種を手にする。「九州144号」という名もない品種であり、オレンジ色をしていた。

 オレンジ系の芋は主に食用で、繊維が多い。表面の皮も固い。あまり焼酎の製造には適さないが、章は試しに仕込んでみた。そうすると、ジャムのような華やかな香りがした。黒霧島や赤霧島とは全く違う。章は製造企画会議にこの品種を推薦した。

 会議での評価はそれほど高くなかった。しかし、拓三が「これは新しい可能性を感じる。今までにない品種で、仕込みが難しいかもしれないがチャレンジしてほしい」と章に伝えた。章は研究に乗り出す。

 仕込みは難航を極めた。変な香りが出たり、すぐ腐ったりした。渋味や酸味も出た。貯蔵するとカビが生えることもあった。何回も失敗し、そのたびに章は暗い気持ちになる。

 毎年、研究開発を続けるかどうかが議論に上がった。章はダメかもしれないと弱気になったが、研究開発を担当する取締役の高瀬良和は拓三に「面白い商品ができるかもしれない。お金をかけても、研究を続ける価値がある」と訴え続けた。

 章は大胆に発想を変えた。従来と同じ造り方ではいつまでも前に進まない。焼酎の風味を大きく左右する酵母を全く違う手法で造ろうと決めた。既に30種類ほどの酵母を試し、すべて失敗した。そこで、長く忘れ去られていた、芋の花の酵母に着目した。

 自然界に由来する酵母は一応発酵したが、アルコールに転換する力が弱かった。それでも諦めず、酵母の改良や熟成の研究に打ち込んだ。

開発7年で評価を得た女性向け「茜霧島」

 開発から丸7年。製造企画会議で「これはおいしい。甘味があり、フルーティーな味わいだ。柑橘系や紅茶のような香りも少し感じられる」とようやく高い評価を得た。50を超えるネーミングの中から、最終的に「茜霧島」が選ばれる。果実感を生かし、女性をターゲットに販売する方針が固まった。

 2014年から売り出し、女性から「甘くておいしい」と上々の評判を得た。まだ少量しか造れないため、流通量は少ない。3本だけ手に入れた酒販店が、すべて自分で飲んだという話も営業マンから聞いた。章は「長く苦労して焼酎を開発できたのは本当にうれしい。皆の知恵と力を結集した商品。医者の私がまさか都城でお酒を造るとは夢にも思わなかったが、今は楽しく仕事ができている」と笑みを見せる。

 拓三は「製造企画会議では若い社員がいろいろな仮説を立て、常に試作を繰り返している。今も茜霧島のような商品開発の種が幾つかある。商品開発力が高まっており、研究室にも新しい設備を増やす」と話す。

 赤霧島の開発にも10年を要した。研究開発から商品の販売には最低5年以上が必要になる。こうした研究陣の地道な取り組みが霧島酒造の地力として働いている。

身体に優しい健麗酒シリーズ

 章は2015年3月、念願だった博士号の学位を鹿児島大学で取得した。「芋焼酎と冬虫夏草によるスピリッツの機能性解析及び作用機序に関する研究」というのがテーマだ。

 「冬は虫の姿をしているが、夏になると草になる」

 冬虫夏草はこうした不思議な生態から、その名が付いたキノコ類の一種。霧島酒造は2007年に、乾燥させた冬虫夏草を芋焼酎の黒霧島に入れたアルコール飲料「金霧島」を発売した。おいしく飲みながら身体にも優しい「健麗酒」のシリーズとして売り、章は医者らしく機能性を論文にまとめた。

 健麗酒のシリーズでは、ロシアで「森の黒ダイヤ」と称されるチャーガというキノコの一種を黒霧島に入れた「黒宝霧島」、抗酸化物質のアスタキサンチンの成分を入れた「Ax霧島」、冬虫夏草やモズク抽出物、ツバメの巣などを混合した「〈玉〉金霧島」を、インターネットの通信販売経由で売り出している。

 拓三は2012年、章に機能性の解明を依頼した。

 章は「薬事法による規制があって効能をなかなかうたえないが、金霧島では抗ガン作用に関する論文が書けた。お酒は大量に飲むと、身体に悪い。だが、適量であれば健康に優しいという適正な飲酒手法の認識を広めたい。今後も研究を進め、他の製品についても分析する」と話す。

 黒宝霧島の成分であるチャーガも抗炎症作用が期待される。拓三は夜の会食の場で取引先などに健麗酒を振る舞い、商品の普及に努めている。

中国・大連でも「黒霧島の売れ行きが最も良い」

 三つ目の経営戦略は海外輸出だ。

 現在、霧島酒造は海外約20カ国で、3億円程度を稼いでいる。2007年から本腰を入れ、基本的には商社経由で現地の日本人に商品を販売する。ただ、ボリュームはまだ物足りない。中国、マレーシア、米国の順に売り上げが大きく、まずはアジアでの拡販策を練り上げるつもりだ。

 2015年3月、中国・大連。大連市内から車を20キロメートル走らせ、日本人の駐在員が住む「アカシア別荘」にあるスーパーマーケットを訪ねた。この地区は工場が多数立地し、YKK、LIXIL(リクシル)、リョービといった日本企業の関係者が在住している。

 スーパーには黒霧島、いいちこ、雲海など10種類程度の焼酎が並ぶ。黒霧島の1升瓶の価格は248元(日本円で約5000円)と安くない。営業担当者は「黒霧島の売れ行きが最も良い。1カ月に平均6本程度が売れる」と語った。中国人の顧客に関しては「春節の際に少し注文があったが、普段はほとんど買いに来ない」という。

 近くの日本料理店「宗政」に入ると、カウンターに約50本のキープボトルがあり、大半が黒霧島だった。ここに通う日本人の駐在員関係者は「昔はいいちこが多かったが、最近は黒霧島を飲む人が増えた」と、トレンドの変化を口にする。黒霧島しか置いていない飲食店も存在した。

 ある部品メーカーの現地経営者は「日本料理店に行けば、どこでも黒霧島があるから助かる。価格は少し高いが関税を考えれば仕方ない」との認識を示す。中国でも、いち早く進出した三和酒類のいいちこを追撃している。

 黒霧島は水割りやお湯割りで飲まれることが多い。ただ、中国人はお酒を割って飲む習慣がない。現地の高濃度焼酎「白酒」も、基本的にはストレートでぐいと飲み干す。飲酒の慣習が違うため、現地の中国人に浸透する状況には至らず、日本酒の方が飲まれている。

 中国では模倣品騒動も起きた。外のラベルと瓶は一緒だったが、キャップの違う黒霧島が見つかった。仮に都城の工場で2014年10月27日15時44分に黒霧島を瓶詰めすると、商品には「1410271544」といった10桁の刻印が残る。しかし、製造していない時間帯の刻印のある製品が、模倣品として発見された。中国市場の開拓では、頭の痛い課題も見え隠れする。

 円安を背景に外国人観光客が急増する中、空港免税店での販売を強化している。2013年から成田空港、羽田空港、関西空港での品揃えを増やしたが、やはり日本酒や国産ウイスキーの勢いが強い。

 2015年度は海外での営業回数を増やし、まずは現地の人にも飲んでもらうために地道な活動を進める。東南アジアでは和食が急速に浸透している。営業統括常務の坂口は「普通の日本食が通用しているアジアの地域もあるので、焼酎が受け入れられる可能性は十分にある」と指摘する。

2020年までに1000億円企業を目指す

 芋焼酎の全国シェア4割、そのうち85%を黒霧島で稼ぐ霧島酒造。2015年3月期の売上高は565億円、経常利益は72億円に上る。2016年には創業100周年を迎える。三つの戦略を着実にこなすと、いいちこの過去最高の販売数量も超えることで、名実ともに焼酎業界の真の王者に君臨することになる。

 社長の江夏順行は「辛い時期もあったが、売り上げをいかに伸ばすかという使命感だけで経営してきた。創業者吉助の時代から100年の節目となるが、さらに未来の100年の計を打ち出す」と意欲的な目標を語る。

 2016年の100周年は単なる通過点にすぎない。東京でオリンピックを開催する2020年には1000億円企業への成長を目指す。過去、酒類業界での最高販売数量は、大手清酒メーカーの7000万本(1升瓶換算)とされる。それも抜き去り、焼酎業界だけではなく、酒類業界全体でのナンバーワンも視野に入れる。順行は「大票田の首都圏と関東以北を攻略できれば、達成できる可能性が高い」と話す。

 お酒の国内消費量は1996年度の966万キロリットルをピークに、足元で1割ほど減っている。ただ、1990年代はビール7割、清酒1.5割、焼酎0.5割の構成比が、現在はビール3割、清酒0.7割、焼酎1割に変化した。焼酎と清酒は逆転し、安定して消費量全体の1割を占める。黒霧島効果が大きく、その他では発泡酒やリキュールも伸びている。

 経営指標では売上高経常利益率を15%に維持する方針だ。五つ目の大型工場を建設する構想も動き出した。2014年9月には芋焼酎の製造過程で発生するカスを原料に電力を造る「サツマイモ発電」を始めた。焼酎業界最大手として環境負荷にも気を配っている。専務の拓三は「東京五輪の年に向け、とにかく走り続ける。社員が楽しんで働ける新しい環境もつくり上げたい」と語る。

 もちろん、課題は少なくない。

 東京などの大都市では新商品を次々に供給できないと、次第に飽きられる恐れがある。営業統括常務の坂口は「黒霧島の成長が頭打ちになった時、他の商品でどう稼ぐのか。新しい焼酎はどうしても最低5年は開発に時間がかかるため、商品の投入ピッチを考えないといけない」という。

 今は黒霧島の寡占化が進み、自然体で成長している。だが、焼酎市場自体は縮小傾向にあり、一般の消費者の目から見ても話題性のある業界では決してない。霧島酒造以外の酒蔵からも市場を底上げする新しい商品が現れないと、全体の販売量が収縮する懸念が否めない。市場全体が黒霧島に依存すれば、値崩れを起こす可能性もある。焼酎業界には新しい血が求められる。

 会社が急成長した一方で、社員の中では30~40歳代の中間層が手薄になり、技術や社風を着実に継承できるか不安も残る。

 日本全体では飲酒人口が減少している中、40歳以上に集中する顧客層をいかに広げるかも、若い社員が考えなければならない。

原料確保が最大の課題

 最大の課題は、今後も成長路線の青写真を描く中、原料をどう確保するかに尽きる。宮崎県では農家の高齢化が加速し、生産者不足が深刻化している。芋がなければ、焼酎を造りたくても造れない。農家を指導して1戸当たりの収量アップを図るほか、農業生産法人との連携を検討する。原料がボトルネックになれば、会社の成長が鈍化しかねない。

 それでも、多くの関係者の表情は明るい。

 2014年10月、博多の小料理屋「志野」に一葉のはがきが届いた。「温かい料理と温かい言葉が頂けて嬉しかったです。これからも頑張ります。今後とも宜しくお願い致します」。

 先輩社員と店を初めて訪れた福岡支店の新人営業社員の松熊桃子からだった。福岡出身の松熊はおっとりとした性格。パンやお菓子の会社に入りたいと考えていた。お酒も強くない。

 ただ、福岡市内で開かれた合同会社説明会の際に、都城弁で熱心に自社について説明している霧島酒造が妙に気になった。松熊は「他の会社と全然違う。優しそうな人が多く、雰囲気も良い」と入社を決めた。

 会社に入ると、社内の人間はやはり優しかったが、男性社会のお酒の営業は戸惑うことばかり。そもそも、業界用語が分からない。2014年10月から実際に担当企業を持ったものの、疲れとストレスはピークに達していた。

 そんな時に小料理屋を訪ね、女将から名刺の渡し方を注意された。先輩社員の話もいろいろ聞いたが、松熊は自分の未熟さに嫌気が差した。しかし、帰り際に、小柄な女将に強く抱きしめられた。

 「桃子、大丈夫だから頑張りなさい」と優しい言葉を投げかけられた。松熊のほおに涙が止めどなく流れた。その礼状を女将に届けたのだ。

 はがきを手に、目を細めた女将の表情はこう物語っていた。「やれば必ずできるわよ。霧島酒造を30年見てきた私が、そう保証するわ」と。地道に進めば目標は必ず達成できると、女将は確信している。

「片田舎の人間にも奇跡を起こせる」

 2015年春。2代目順吉の右腕として働いた元製造担当常務の清永博助は宮崎市内の自宅で妻と晩酌をしながら、庭に咲き誇る美しいバラを眺めていた。

 86歳の清永は、順吉が「芋焼酎が一番うまい」と断言していた模様をふと頭に思い浮かべた。手に握りしめた「白霧島」は確かにうまかった。戦後当時と比べて風味が格段に良くなり、お湯割りには甘い香りが漂う。

 順吉が芋臭さを和らげようと、日々格闘していた姿が鮮明に蘇った。順吉のこんな信念も思い出した。「みんなに晩酌で飲まれるうまい焼酎を造りたい。そうすれば消費量も伸びる」。

 少し酔った清永は、順吉が貫いた芋一本化路線に、あらためて先見の明を感じた。ここまで会社が成長するとは夢にも思わなかった。奇跡が起きた。だが、同時にほろ酔い気分で感慨に浸った。「どこの片田舎の人間にも、奇跡を起こせる力があるんだ」と。黄色いバラの花びらが、ふわりと宙に舞った。